「さて、あとはボタンを押せば…ビンゴ!」
20分後に焼けるであろうクッキーを楽しみにしつつ、京はオーブンのスイッチを押した。
「上手く焼けると良いですね」
一緒に作っていたヒカリは、京ににっこりと笑いかけた。



<みんなの中の、一組>



「ところで京さん。賢君とはどうですか?」
ヒカリの唐突な質問に片づけをしていた京は、持っていた泡立て器をうっかり落としそうになった。

「な、なーに言っちゃってんのよヒカリちゃ〜ん」
「とぼけなくても良いんですよ?いきなり『クッキー作りたい』って言ったときからわかってたんですから」
ヒカリの妙に含んだような笑顔を見て、照れ焦りをしていた京はなぜか落ち着き、真面目な顔になって話し出した。

「賢君とはねぇ…上手くいってるにはいってるんだけど…」
「なにかあったんですか?」
「ううん。特に何があったってわけじゃないの。デートも2週間に1回は絶対してるし、いっつも楽しいし、
電話だって3日に1度は当たり前だし、メールはほとんど毎日だし、
この前だって私が何気なく言ったこと覚えててくれて、プレゼントしてくれたし!」
「そうなんですか〜」
出だしこそ真面目だったものの、話が進むに連れヒートアップしていき、最早京にはヒカリの声も聞こえなくなっていった。

「そうそう、バレンタインの時だって、たっくさんの女の子からチョコ貰ってたのに、私のだけ食べてくれたし、
ホワイトデーの時にはお返しにってすっごく可愛い指輪くれて、しかも『何をあげて良いのかわからなくて…』とか言いながら照れた顔で!」
もうあの顔は反則だってばー!!、と泡立て器で何回もキッチンを叩きながら叫び暴走する京を、ヒカリは慣れた顔で見つつ考えていた。
「(京さん達、そんなに仲良いんだ…)」

ヒカリ達も、もちろん仲が良い。
しかし、クラスは同じでも部活は違く、話せる時間は休み時間程度。それも決して多くはない。
メールのやり取りはしているが、やはり物足らない。
かといって中学の部活ともなるとなかなか休みもなく、休日のデートで埋め合わせもできなかった。

「(でも、欲張りかな)」
目の前で楽しくて嬉しそうな顔をしている京を見ると、毎日会えているのに文句を言う自分がそう思えてくる。
「(タケル君も忙しいんだし)」
オーブンの中にあるクッキーを横目に、ヒカリは軽くため息をついた。


「それじゃあ京さん、また」
「うん、じゃあねヒカリちゃん♪」

1時間後、ヒカリは綺麗にラッピングされたクッキーを持ち、京の家を出た。
エレベーターのボタンを押し、浮かぶは彼の喜ぶ顔。
京が「どんな包みにしたら賢が喜ぶか」をさんざん身振り手振りを混ぜながらヒカリに相談し、
そんな様子を見たヒカリは京に袋とリボンをもらい、自分も彼にプレゼントをしようと決めたのだった。

エレベーターが到着し、乗り込みながら自然と笑顔になる。
閉まるドアを見ながら、そういえばエレベーターで偶然出会ってそのままデートに行ったこともあったっけ、などと思い出す。
デートの数も今では数え切れないほどだけど、その1つ1つが記憶に…

「あれ?」

ナイ。
記憶に、無い。

「嘘…」
今まで、付き合う前も後も、いつもその1つ1つが楽しくて、新しくて、とても鮮明に記憶していた。
それなのに。そのはずなのに。
いつ頃から、曖昧になってしまったのだろうか。
中学入学…いや、もっと前から。

タケルの家の階に到着し、ドアが開いた。
反射的にヒカリは飛び降りたが、胸のドキドキは治まらなかった。
以前と変わらなくドキドキしている。
しかし、それは嬉しいものではなく、不安からのもの。
どうしようと思いつつも、足は自然とタケルの家へと向かっていた。
不安なときほど、誰かと、大切な人と居ると安心するから。
そう言い聞かせ、ヒカリは、インターホンを押した。

『はい。高石です』
少ししてから聞こえたタケルの声に、喜びか不安か、胸がドキッと鳴った。
「ヒカリです」
しかし、そんな素振りを微塵も見せないように、ヒカリは明るく言った。

『ヒカリちゃん?どうしたの急に』
言葉だけ聞けば素っ気ないが、言い方はとても嬉しそうだった。
「さっき京さんの家でクッキー作ったから、あげようと思って」
『うわぁありがとう。今開けるね』

インターホンが切れ、ヒカリはクッキーのラッピングを見直した。
気合いを入れたその包みは、綺麗そのもの。
喜んでくれる…そうはわかっていても、どこか不安は拭えなかった。

ガチャッと音がし、ドアが開いた。
「ヒカリちゃん」
顔を見るなり名前を呼んだタケルは、にっこりと微笑んだ。

「はい。プレゼント♪」
つられて笑顔になりながら、ヒカリはクッキーを渡した。
「ありがとう」
昔と何ら変わらない、その笑顔。
これを見るために作ったんだな、とヒカリは改めて実感した。

「せっかくだし、あがっていきなよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
入り慣れた家。けれど、随分と久しぶりな気がする。

「おじゃましまーす」
そう言いながら靴を脱ごうと屈んだ時、見慣れない靴が置いてあるのに気付いた。
新しく買った、にしては…ありえない。
どうみても女物で、かといってお母さんが履くとは思えないデザイン。

「今、空さん来てるんだ」
「え?」
ヒカリが見ているのに気付いたのか、タケルは言った。

「ほら、明日兄さん達が復活ライブやるでしょ?その関係で」
言いながらタケルは先にあがった。
「そう…なんだ…」
ヒカリも追いかけるように靴を脱いであがったが、なぜだか、すぐに後悔した。


リビングに入ると、空は既に帰る準備をしていた。
「あ、もう帰りますか?」
タケルの問いかけに、空は「おジャマでしょうから」といたずら笑顔で言い、
「それじゃあ。ヒカリちゃんも、またね」と、足早に帰っていった。

空に会うのは久しぶりなはずなのに、イマイチ笑顔になれず、ヒカリはそんな自分に戸惑った。
「座ってて。いま紅茶用意するから」
タケルが、ピンク模様のティーカップとクッキーの載ったお皿を提げながら言った。

「(…クッキー?)」
ヒカリは不思議に思った。なにせ自分の作ったクッキーは、まだ包みの中にある。
でも、お皿には確かに手作り感の漂うクッキーが。

「(空さんが持ってきたのかな…)」
考えつつも、言われたとおり椅子に腰掛けた。

「はい。ヒカリちゃん」
タケルがお客様用のティーカップとクッキーを置いた。
「ありがとう」
ヒカリはそれを受け取ると、同時に違和感を感じた。

カップが、違う。
普段は、先程タケルが提げた、ピンク模様のほう。
しかしこれは、対になっている水色模様のカップ。
今まで、見たことはあっても使ったことはなかった。

「(…でも、別にあれが私用のカップってわけじゃないし…)」
そう思ったが、そもそもどうしてそんなことを気にするのだろうと、疑問を感じた。

「おいしい」
タケルの声が聞こえ顔を上げると、ヒカリの作ったクッキーを食べているところだった。
とても嬉しそうに、その瞳はヒカリに向けられていて。
ヒカリは一瞬その目を見て微笑もうとしたが、口は笑顔の途中で止まり、言葉を発した。

「ねえ、タケル君」
明るさの欠片のない声に、タケルは食べているクッキーの手を止めた。

「私……タケル君のこと…好きなのかな…?」

ポチャン。
タケルが持っていたクッキーが、丁度真下にあったカップに落ちた。
しかしタケルはそれに気付かないのか、驚きと悲しみの表情のまま固まっているような状態だった。
そしてその瞳はヒカリを見据えたまま、何も語っていなかった。

「ち、違うの!!そうじゃなくて…そうじゃないの…そういうことじゃなくて…」
言ってしまってから、ヒカリ自身も相当なショックだった。
自分が何を思っているかがわからず、どうしてそんなことを言ってしまったのかもわからない。
必死に弁解したいのに、言葉が出ない。

そしてヒカリの声に我に返ったのか、タケルは瞳を逸らし、表情を隠すように下を向いた。
何かを言いたそうにはしているが、その口からは何の言葉も出てこなかった。

「ごめんなさい…!!」
ヒカリは混乱とタケルの姿に負け、駆け足で部屋を出た。


エレベーターのボタンを押し、待ち時間の間に、やっと我に返ってきた。
しかしそれでも、自分の言ったことが、信じられなかった。

「(好きなことは、確かなのに。なのにどうして…)」
クッキーを食べたときの、タケルの笑顔が思い出される。
笑顔にしたかっただけなのに。
あんな悲しい表情を、ヒカリは初めて見た気がした。
少なくとも、させてしまったことは、無い。

「(どう謝れば良いんだろう…)」
考えが全くまとまらないうちに、エレベーターが到着した。
ヒカリは吸い寄せられるように乗り込むと、タケルが追いかけてこないことにがっかりしている自分に、腹が立った。


「ただいま…」
気が重いまま家に着いてしまい、本当にどうしようと悩みながらベッドに潜る。
とにかく、自分の気持ちの整理ももちろんだが、一刻も早く謝らないといけない。

が、今まで大きな喧嘩をした例しが無く、謝り方がわからない。
丁寧に謝ればタケルのこと、許してはくれるであろう。
しかし、それで今までと同じ関係に戻れるかというと、保証はどこにもなかった。

「ミミさん達なら、こんな事無いのかな…」
暗い部屋の中、ポツリと呟く。
会う度にいつも喧嘩っぽくて、それでもいつも人一倍仲が良い。
さして気に留めたこともなかったが、あれで気まずくならないのが仲の良い証拠なんだな、とヒカリは思った。
もし、自分がタケルと遠距離でメールのみだったら、喧嘩なんて怖くて出来ないかも知れない。

「…私今、怖がってるのかな?」
天井に向け、自問自答する。
悩みがあったときは、いっつも彼と一緒にいた。
特に何を言うわけでもない。一緒にいるだけで、良かったのに。

「ねえ、タケル君。私のことどう思ってるの…?」
呟いてみて、自分はそれを聞きたかったんだな、と今更ながらに気づき、自己嫌悪に陥っていく。

だって、答えはきっと、出てるから。
自分に向けられた笑顔の数。毎朝当たり前の光景で、いつでも変わらない嬉しそうな表情。
ヒカリは、どうして自分がここまで思い詰めているのかが、どんどんわからなくなっていった。


どのくらい時間が経ったのだろうか。しばらくしてヒカリはふらりと起き上がると、パソコンの前に移動した。
ついに考えるのを放棄した、と言うのも一理あるが、何か解決の糸口になるかも知れないと思い、
ミミにメールを送ってみることにしたのだった。
…もっとも、文面はまったく思い浮かばなかったのだが。

「あれ?」
普段滅多にパソコンにメールする人なんていない。
それなのに、受信箱に1通の未読メールがあった。
もしかして、とクリックしてみると案の定。
ミミからのメールだった。

『ヒカリちゃんへ
おっひさ〜☆元気してる〜?ミミはすっごく元気でーす♪』
相変わらず、画面からエネルギーが溢れてくる雰囲気。
いつも元気で明るいミミが、目の前で喋っているかのようだった。
故に、次からの文章を見てヒカリは少し驚いた。

『…でもね、昨日は少し元気なかったの。 ちょっと、光子郎くんのことで不安になっちゃって』
どんな喧嘩口調の会話でも、本心から不安で言っているのではないと、ヒカリはそう思っていた。
そして、次の文を読み、ヒカリは目を疑った。

『でも、ヒカリちゃんのおかげで、また光子郎くんと仲良くやっていけそう♪』
「私の、おかげ…?」
どう考えても、ヒカリは昨日のミミと連絡は取っていないし、一体何をしたというのだろう?

『ほら、私達って超遠距離じゃない?だからよく不安にもなるの。
でも、そう言うときにヒカリちゃんの言葉を思い出すのよ』
思い出す…?
ヒカリは思い当たる言葉を探したが、すぐには出てこなかったので、続きを読んだ。

『「気持ちがこもっているのが大事」って。
クリスマスのときに言ってくれたのよね。毎回がファーストキスみたいだって』

一瞬は何の話かわからなかったヒカリだが、思い出すと同時に多少顔が火照った。
しかし、言った本人ではあるが、回数自体もあの頃に比べ少ない最近では、肝心の気持ちすら曖昧になっている気がした。

『私達はそんなふうに近くにいることは出来ないけど、気持ちはヒカリちゃん達に負けないんだから!
なーんて。素直にありがとうって言わなくちゃね』
この文章を読み、ヒカリはミミがいかに素直で、さすが純真の紋章の持ち主だ、と思った。

「(だからきっと、私達よりも近いんだろうなあ…)」
実際の距離はヒカリ達の方が遙かに近いが、今現在の心の距離は、ミミと光子郎の方がとても近く感じた。
「(どこで間違えちゃったのかな…)」
考えれば考えるほど距離は遠のいていく気がして、小さい頃の方が今よりも近いくらいに思える。

『そうそう。ヒカリちゃん覚えてる?99年のクリスマスパーティのこと』
ちょうどその頃のことを考えていたこともあり、すぐに思い浮かぶことがあった。
興味本位でした、ファーストキスのことである。


99年のクリスマスイヴ。この日八神家で選ばれし子供たちのクリスマスパーティが行われた。
「悪いな。片づけ手伝わせちまって」
折角イヴにやるのなら、と時間を夜にしたため、皆が帰ったのは既に10時近かった。

「いや。遅くまで帰らなくて済むのは、親父の帰りが遅い俺達だけだから」
せめてな、とヤマトとタケルはパーティの後片付けを手伝っていた。

「タケル君も、休んでていいからね。開いたのは私とお兄ちゃんなんだから」
「ううん。大丈夫だよ。それに、僕達もいーっぱい楽しんだんだもん。ヒカリちゃんこそ、休んでていいからね」
ありがとう、と微笑みながら、4人で紙皿と紙コップを運ぶ。

「…ん?誰のだこれ」
太一が、椅子の下に落ちていたピンクのマフラーを見つけた。
「忘れ物か?」
だとしたら、色的に空かミミの物だろう。

「確か、ミミさんがしてたよね、それ」
ヒカリがマフラーを見て言う。
「うん。届けに行こうか?」
タケルが相づちを打ち、ヒカリに聞いた。

「んじゃ、俺ちょっと届けてくるわ」
しかし答えたのは太一だった。おそらくは冬の夜10時なんかに2人を外出させたくなかったのだろう。
ヒカリが「あたしも行く」と切り出したときには、既にコートを着て玄関口に立っていた。

「さて…俺達は片づけしなくちゃな」
むくれるヒカリに、苦手そうな表情をしたヤマトは一言空元気な声で言った。
渋々、走る兄を送り出し片づけに取り掛かろうとすると、タケルがヒカリにカードを渡した。

「なあに?これ」
「あそこに落ちてたの。『ヒカリちゃんへ』って書いてあったから」
タケルが指さす先は、太一がマフラーを見つけた場所だった。
なにやら嫌な予感がし、ヒカリはカードを読んでみた。

『ヒカリちゃんへ
メリークリスマス☆ ミミからのプレゼントでーす♪
お店で一目惚れしちゃったの!可愛いでしょ(^^)
私と空さんと、3人おそろいよv』

「・・・・・」
「ヒカリちゃん?」
ヒカリの顔を見てか、タケルが「どうしたの?」と訊ねてくる。

「ねえ、タケル君。このカードの近くに、袋って落ちてなかった?」
「えっとー…。あ、あったよ!中身は入ってなかったけど」
このタケルの言葉を聞き、ヒカリは今にも泣きそうな表情で言った。

「どうしよう!あのマフラー、ミミさんからあたしへのプレゼントだったみたい…」
「えええ!?」
つまり、椅子に置いたミミからのプレゼントが、
いつの間にか落ちてしまい、中身が出てきてしまったらしい。

「早くお兄ちゃんに言わないと!」
「ちょっと待ってヒカリちゃん」
走りだそうとするものの、ヒカリの足では到底太一に追いつくことは出来ない。
そう考えたタケルはヒカリを引き止めると、ヤマトに事情を説明し、太一のあとを追ってもらった。

「大丈夫だよヒカリちゃん。お兄ちゃんならきっと太一さんに追いつくよ!」
慌てて玄関を飛び出すヤマトの姿を見ながら、タケルは笑顔で言った。
「うん…。ありがとう」
そんな笑顔が嬉しくて、ヒカリも笑顔で返した。

「そうだ!これ、ヒカリちゃんにあげるね」
そう言って手渡されたのは、1つのキーホルダー。
数字の8を細くしたような形で、どちらかというと無限大のマークを縦にしたようでもある。

「いいの?クリスマスプレゼントはもうもらってるのに…」
「うん!これパパ…お父さんにもらった物だし」
「え?」
タケルにそう言われると、なおさら貰っても良い物かと思ってしまう。

「なんかね、お仕事の都合でもらったんだって。ドラマのグッズって言ってた」
「へ〜…そうなんだ」
そう言われるとなんとなく見覚えがある気がした。

「どんなドラマなの?」
「えーっと、タイトルは忘れちゃったけど…」
言いながら、タケルは持っていたキーホルダーを取り出した。
ヒカリのと同じ形だが、縦ではなく横につけられている。

「これ、ヒカリちゃんのとくっつくんだよ」
キョトンとするヒカリからキーホルダーを預かると、タケルは自分のを合わせた。
すると、8と∞が合わさり、四つ葉の形になった。
「すっごーい!」
「これがドラマのマークなんだって」
普通の四つ葉のクローバーはハート型をしているものだが、
なんでもこのドラマではそうではなく、むしろハートではないという所がミソらしい。

「そういえば、1回だけ見たことあるよ。このマークのドラマ」
どんな感じだった?というタケルの質問に、記憶を辿れば浮かぶのはとある1つのセリフだった。

「『初めてのキスは、甘いいちごの味がした』」

「へ?…何それ」
「よくわかんないんだけど、主人公がそう言ってたの。気になったから、ここだけ覚えてるんだ〜」
そう言うヒカリに、タケルは首を傾げた。

「でも、僕は『レモン味』って聞いたよ」
どこでかは忘れたけど、と言うタケルに、今度はヒカリが首を傾げる。

「…じゃあ、どっちなんだろ?」
「いちごとレモンじゃあ、全然違うよね」
ヘンなの。と2人して不思議がった。
そして、ヒカリは思いついたことを言ってみた。

「ねえ、確かめてみようか?」

タケルの目が、少しだけ丸くなった。
ヒカリ自身も、少しだけ目を丸くした。

「うん」
数秒間見つめあった後、タケルは頷いた。

「それじゃあ、目瞑ってて…」
ヒカリは目を瞑り、興味本位なのに胸がドキドキしながら、唇に触れるのを待った。


2004年現在のヒカリは、当時のことを鮮明に思い出しながら、唇に指を当てた。
「…あのときの方が、今よりもドキドキしてたのかも…」
肩を落としてため息をつく。
そして、とりあえずはミミのメールを読もうと、続きに目をやった。

「え?」
読んだものの意味が分からず、前の文章から続けて読んでみる。

『そうそう。ヒカリちゃん覚えてる?99年のクリスマスパーティのこと。
あのときヒカリちゃん、タケルくんに手作りクッキーあげたでしょ。2人とも可愛かったなー』

「……」
いくら考えても、記憶になかった。
かといって、勘違いとも思えない。

『タケルくんすっごく喜んでて、ヒカリちゃんもとっても嬉しそうだったのよね。
それを見てね、「手作りってすごいなあ」って思ったの。
気持ちが伝わってる!って感じが私にまでわかって』

ミミはとてもよく覚えているようだが、当のヒカリは全く覚えがなかった。
それなのに、比較するかの如く今回クッキーをあげたときのことを思い出す。
ヒカリは、忘れているのにもかからわず、このときと何ら変わりはなかった気がした。

『そのこと思い出したから、私もクッキー作ってみたの。
渡すことは出来ないけど、光子郎くんに、ちゃんと伝わったよ♪』
どうやって光子郎にクッキーのことを伝えたのかは書かれていなかったが、ミミにとってそこは問題じゃあないのだろう。
気持ちが伝わったのだから。元々、それを伝えるために作ったものなのだから。

『ありがとう、ヒカリちゃん。
やっぱり大事なのは気持ちよね!!
これからもヒカリちゃんの言葉を支えにして、太平洋を乗り越えてみせるわね♪♪』
ミミのメールはここまでだった。

ヒカリは、相談をする前に答えが返ってきた気がした。
が、肝心な部分の解決法がわからなかった。
ミミは、ヒカリから「大事なのは気持ち」だと教わり、そのおかげでいくらか救われているらしい。
わざわざお礼にメールをするほどなのだから、よほど支えになったのだろう。

しかし、ヒカリとしては、その感謝を素直に受け入れられなかった。
考えるべき所が自分の気持ちだ、ということはわかったが、それを知る術が見つからない。

「(でも…)」
明日にはヤマト達の復活ライブで顔を合わせる。
そこで謝れば、ちゃんと、自分の気持ちを「わからない」所も含めて言えば、
きっと答えは見つかる。

「ありがとう、ミミさん」
ヒカリはミミにお礼のメールを返信するべく、気持ちの整理をすることも兼ね、メールを打った。


次の日。
空からの招待で来ることになった、ヤマト達のライブ会場にヒカリはいた。
隣には当然の如くタケルが座っている。
ただ、会話どころか、まともに顔を見ることすらしていなかった。

「(……どうしよう)」
顔を合わせたものの、仲間達はいるしタイミングが掴めない。
もちろん、そんなこと考えずに謝った方が良いのだが、やはり言い訳が先に出てきてしまう。

タケルの方を気にし、たまにちらりと見ては目が合ったりするが、ヒカリが言葉を発する前にタケルが目を逸らしてしまう。
そんなことを何度かしつつ、結局話すことなくライブ開始の時間になってしまった。


さすが復活ライブということもあり、盛り上がりは過去1,2を争いそうな勢い。
そんな中にいるはずなのに、ヒカリの表情は一貫して浮かないものだった。

この盛り上がりのままライブが終了すれば、直後に言い出すことは困難極めること間違い無し。
かといって、音楽が鳴り渡るライブ中に話すことは不可能。
こうなることがわかっていながら先延ばしにした自分にまたも嫌悪するが、今は為す術がない。
ただひたすら、気分が乗らない場所で考えが悪い方向に深まるのみだった。

歌がまるで耳に入らず、あとどれぐらいで終わるのかなあなどと思い始めたとき、
ヒカリの右隣に立っていたタケルが、どこかに行こうと動き出した。
見れば、空に話しかけてそのまま2人で外に行ってしまった。
何を言っていたのかは聞こえなかったが、雰囲気がクリスマスの時によく似ていた。

でも、今回は何も聞いていない。
しかし、昨日タケルの家に空が来ていたことが関係しているのは、確かだとヒカリは思った。

「はあ…」
昨日今日で何度目になるか、大きなため息をつく。
一瞬、左隣に立っている京に聞こえたかも、と不安になったが、見てみれば賢と楽しそうに笑いあっていた。

すぐに視線を外し、そのまま右隣を見る。
誰もいない席。
今の自分たちの状況を、凄く痛感した。

ずっとこのままなわけはないけれど、状況打破がわからない。
考えても考えても、同じ事の繰り返し。

『どうしてこうなったのか』を考えれば、
『タケル君は今までと変わらないのに、私が不安に思ってしまったことが原因』と返ってくる。
『なんで不安に思ったりしたのか』を考えれば、
『思い出せなくなってきたから、私が本当にタケル君のことを想っているのかが怖くなった』

決して解決法が出ることのない問答を頭の中で繰り返し行い、結局は自分の所為だと攻め続ける。
ヒカリがここまで思い詰めているのなら、いつものタケルならすぐさま何かしらの行動を起こすはず。
それなのに何も言ってこないのは、『傷つけてしまったから』に他ならない。
何をどう考えても全てを抱え込んでしまうその性分が、現状を作っていた。

まさに悪循環だとヒカリが自覚したその時、クリスマスと同じく、辺りが暗くなった。
ただ、会場はざわめかなかった。むしろ、期待の眼差しでステージを見ていた。
今までの流れをヒカリは全くと言っていいほど理解してなかったので、その様子が少し不思議だった。

数秒後、徐々にステージが明るくなりながら、歌が始まった。
その声が聞こえた途端、会場はざわめきだし、
そして、ライブ開始以来初めて、ヒカリの心もざわめいた。

歌声の主は、タケルだった。

意外な出来事に、会場にいた全員が嬉しい驚きに包まれていた。
もちろんヒカリも例外でなく、ただタケルを見つめていた。

自然と体が曲に乗り、その歌詞に耳を傾ける。
どうやら片想いの歌のようで、ヒカリとしては良い物ではないはずだった。
それなのに、なぜだかヒカリは、心地よかった。

なぜだろうか。
ただでさえ気まずい状況で、普段よりも女の子に騒がれていて、
自分が彼女のはずなのに、片想いの歌を歌っていて。
そう考えるものの、先程までの重い考えとは何かが違い、深刻な気がしなかった。

距離が離れているからかも知れない。
だから、見つめていられるのかも、知れない。

そんな答えをとりあえず出し、タケルの歌に集中する。
歌声を聴いたことはあるが、曲は知らない曲だった。
「(ヤマトさん達が作ったのかな…)」
そうは思うものの、歌詞はタケルのものだという不確かな確信があった。

そしてそれは、聴けば聴くほど増していった。
そして徐々に、タケルの気持ちが伝わってきていた。

「ヒカリちゃんの、ことだよ」

タケルが、そう言ったような気が、ヒカリはした。

実際は何も言ってはいないのだが、なんとなく。
その目がそう、言っていた。

ヒカリはそう思いながら、タケルを見つめ続けていた。
そして、気付いたことがあった。

「(……ずっと、私を見てる…?)」
この会場で、この雰囲気で、来ている人達に向けるのでなく、ヒカリのみに。
決してよそ見をすることなく、他の人から見たら不自然なほどに。
そして、歌詞もまた、ヒカリに向けられていた。

タケルが言いたかったことが全て詰まってるようなこの曲に、すっかり虜になり、ヒカリはタケルを見ていた。
同時に、「曲が終わったら、すぐに会いに行こう」と決めた。
罪悪感は『片想いの歌』を聴くことで痛いほど増えていったが、
謝ることを考えても、もう苦にならなかった。

すぐに、歌も終わりが近づいた。
聴いていたいような、早く話したいような気分のまま、ヒカリは瞳で自分の気持ちを真っ直ぐ伝えた。
タケルと同じように、『片想い』のような状態だったんだ、と。
だから、今度は自分から告白しに行くから、と。

そして、まだまだこれから紹介などで時間を取りそうなタケルをステージに残し、
ヒカリは小走りに『関係者専用通路』を目指した。

そう時間も掛からずにステージ袖付近に到着し、すぐに出て来るであろうタケルを待った。

ヒカリの予想通り、1分も経たずにタケルが走ってきた。
「タケルっ」
飛びつくように、ヒカリはタケルを抱きしめた。

「ヒカリ…!?//」
慣れないヒカリの行動にタケルは照れ、ヒカリはそれを見て笑ったかと思えば、少しトーンを下げ、
「ごめんなさい」
と、タケルの目を見て謝った。

「私、タケルのこと、大好きだよ」

どんな言い訳より、どんな説明より、たった一言。
これが何よりも、タケルの顔を笑顔にした。

「…よかった」
ホッと安心の表情を浮かべ、何よりも“素”の状態で、タケルは言った。
「本当に、ごめんね…」
タケルの、滅多に見ない姿を見て、たった一言の所為で傷つけたことは変わらないのだ、と胸が痛んだ。

「そんな顔しないでよ。僕は、ヒカリのそう言う哀しそうな顔は、見ただけで哀しくなっちゃうんだから」
からかうように笑うタケル。
冗談か本当かと言ったら、間違いなく本心で。
あぁ、いつもの関係に戻ったんだなあ、とヒカリは嬉しく思い、微笑んだ。

「…まあ、だからヒカリがすぐ謝ってくれたとき、『そんな顔させてしまった』ってことにもショックだったんだけどね」

「もう、2度とそんな顔には、させないからね」
ヒカリは、まだ気付いていなかったタケルの気持ちを知り、
今回の自分の気持ちを誤解の無いようはっきり伝えないとと思った。

「ありがとう。でも…」
「なに?」
「私は、忘れちゃうかも知れないなって」
疑問の表情をするタケルに、ヒカリはぽつり、ぽつりと話し出した。

「あのとき私、不安だったの。今までのタケルとの思い出を、忘れちゃってたから…。
それは、タケルのこと好きじゃなくなったからなのかな、って思っちゃったり、して」
「それで…」
「でもね、本当は大好きだってわかってたの。
だからきっと、タケルが私のことどう思ってるかってのも、不安だった…」
今になって落ち着いてきたのか、ゆっくり静かな雰囲気で、気持ちを確かめながら話していく。

「それがわかった今、やっぱり不安にもなるの。
タケルは変わらず想ってくれてるのに、私は思い出を忘れちゃったりして、変わっていくのかなって」
それが、少し怖い…と、ヒカリは言うと、下を向いたまま、タケルの返事を待った。

「いいんじゃないかな」
タケルの返事にヒカリが顔を上げると、にっこりを微笑みながら、真っ直ぐヒカリの目を見ていた。

「僕だって、ヒカリを守るためにはこれから先も変わらないといけないし、変わると思う。
それでも僕たちは一緒にいると思うよ。少なくとも僕は、一緒にいたいしね」
そうやって、タケルは笑った。

「でも、それで思い出を忘れてっちゃうのは、どうかな…」
ヒカリの問いかけに、タケルは動じることなく、
「それでも、いいんじゃないかな」
と言った。
「色あせない思い出なんて、そう滅多にあるわけ無いと思うし。それに…」

「忘れていても、今の僕達がそれをしてきたことは、事実だから」

「例えば、今回のことだっていつか忘れてしまうときが来るかも知れない。
それでも、こうやって話をした事は変わらない。
今があるから未来があって、過去があるから今がある。
たぶんずっと、その繰り返しなんじゃないかな」

「そうだね…」
それで、いいんだね。と、ヒカリは“素”の状態で微笑んだ。

「もし、それでダメなときが来たら、また一緒に考えよう。
僕達には僕達の。その時にはその時の、1番の方法があるはずだから」
世界中に沢山の人達がいて、それだけ、いろんな悩みと答えがあるから。

「みんなの中で、たった一組。
僕とヒカリだけの方法を、いつでも一緒に探そう」

すれ違っても、ぶつかっても、どんな喧嘩をしても。
「うん。約束する」
たとえ、その約束を忘れてしまっても。

2人はそっと、唇をつけあった。


今、ここに、誓います──。






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ご、ごめんなさい・・・。本当に本当に、遅くなりまして申し訳ないです・・・;;(土下座)
これにてこの連載は終了になります。
元々、サイト開設前のネタをまとめた連載にする予定だったので、そのネタもおそらくはちゃんと解消出来ましたので、
下手に「続けよう」と思うとまた有り得ないほど期間が空いてしまうかも知れないので、潔く終了させて頂きます。
お付き合い頂き、誠にありがとうございました!!!

…しっかし、不明瞭な点も多々ありますし、グダグダで申し訳ない;;
実は史上最大のスランプに突入してまして、連載をクリスマスで終わらせようかとも途中思いました。
でも、ファーストキスのことまだ書いてなければ、Focus(タケルが歌ってたのはもちろんこの歌という設定です)が書けるのはこの連載だけ。
そう思って、なんとかかんとか書き上げました。
とんでもな話でしたが、お読み下さり本当にありがとうございました!!!

作成・掲載日:2007/12/9