今日は、母の日。

ゴールデンウィークが終わって、まず目につくのがこの日。

お店には「お母さん、いつもありがとう」と書かれた垂れ幕がかかり、

カーネーションが、売られてく。

このところ、彼女のことばかり考えていたけど、

…母さん、どうしてるのかな…。



『どうしても言いたくて』



ついに来てしまった。

あの日から来ないようにしていたのに。

会いたい人が違うせいなのだろうか。

来ることが、出来てしまった。


久しぶりの、我が家。

門もドアも、開けることは出来ないけど、

久しぶりに、帰ってきた。


「…カーネーション、ありがとうね」

懐かしい声が聞こえた。

母さんの声だ。…電話でもしてるのかな?

リビングにいるみたいだし。

そう思ってリビングに行こうと廊下を歩き始めたら、

母さんが出てきた。


「そんな、少なくてすみません」


この声は──。

でも、なんで、なんでここに──!?

リビングから、ヒカリちゃんが、出てきた。


「…悪いのは私の方よ。なるべく、早く帰ってくるから」

なにも見えてない母さんだけが、普通に話をしている。

僕の横を、素通りしてく。

…ただ、彼女はそこに立ちつくしていた。

僕は、固まってしまった。

立ち去らなければならないのに。


早くこの場から、彼女の前から消えないといけないのに…。


「…それじゃあヒカリちゃん、お留守番、よろしくね」

母さんに名前を呼ばれて我に返った彼女は、

力無く手を振った。

母さんは一瞬変な顔をしたけど、急いでるのか、行ってしまった。


久しぶりの2人きり。

あれから2ヶ月。


偶然か運命か、また、会ってしまった……。


「…会いたかった…タケル君…!!」

数秒間の沈黙のあと、ヒカリちゃんが突然駆け寄ってきた。

そして、僕に触れようとした。
…当たり前のように、擦り抜けてしまったけど…。

“ヒカリちゃん…”
呆然とする彼女を前に、僕の体は動かなかった。

「タケル君……私……待って…たん…だよ…?」
涙声で途切れ途切れに話す彼女。

もう泣かせるまいと誓ったのに…。

「…いつか、きっと、来てくれるって…ずっと…」
そんなに…会いたいって…想ってくれてたんだ。

“…ごめんね…。でも、会っちゃいけないって、想ったから…。
今日だって、ちょっと母さんの顔見に来ただけで…”

弁解した方がよいのかどうか、正直わからない。

彼女は僕に会いたいと想っていてくれてた。

でも、それだと、平凡な、普通の生活は送れない。

そう思って、会わないようにしてきた。
でも……。


「なんでもいい…また会えたってだけで…理由なんか…なんでもいい」

彼女はそう言いながら、僕の手を握った。

…正確には、握れてはいないんだけど…。


「…ねえ、タケル君」

少しの沈黙のあとに、ゆっくりとヒカリちゃんが切り出した。
“…なに?”
「…また、毎日会いに来て…」


たった一言。
その一言が、静かなこの家に、

僕の中に、響きわたった。
ただ、それは────。


“ごめん…それは、出来ないんだ…”
「…どうして?」
小さな声。しかし、そこには強いなにかがある言葉。

“だって、僕はこの世にいちゃいけない人だから”
「そんなことない!タケル君は、いて良いの!現にいるじゃない!」
もし僕が生きていたら、彼女の拳を全てくらっていたのだろう。
擦り抜けずに…。

  “…でも、それは、幽霊と同じだと思うから…”
いてはいけないもの。ここにいるのは事実でも、会ってはいけないもの。だから。

「幽霊なんかじゃない!!幽霊じゃなくて、天使だよ!!」
必死に喚く彼女を見ると、本当に僕はいてはいけない存在に想えてくる。

“…ヒカリちゃん。はっきり言う。僕は、幽霊だ”

たとえ危害を加えるつもりはなくとも、いて良い存在ではない、幽霊だ。

「そんなことない!!だって、だって、羽根があるじゃない!!」
大きくて怒っているような声とは裏腹に、笑顔で彼女は言った。

“…羽根?”
ただ、僕には、よく意味が分からなかった…。

だって…。


“僕、羽根なんかないよ?”


「…え?」
彼女には、僕の言葉の方が意味が分からなかったみたい。
“…だから、僕には、羽根なんて、ない”

「な、何言ってるの?あるじゃない。天使の羽根。
 まっ白で、綺麗な、羽根が…!」

“ヒカリちゃんには、見えるの?”

「うん」

“羽根、が?”

「うん」

“白い…羽根…が?”

「綺麗な、天使の羽根が」

僕は、自分の両脇を見た。

なにもない。僕には、なにも見えない。

でも、ヒカリちゃんには見えている。

白い羽根が。…天使のような、羽根が。


プルルルルルルル…。

“…電話?”
懐かしい、音が聞こえた。

「あ」
急いで、彼女がリビングに入っていった。

僕も、4ヶ月ぶりくらいに、リビングに入った。


変わっていない、部屋。

物の配置も、僕の食器も。

違っているのは、鉢植えの花が咲いたことと、
彼女がくれたと想われる、カーネーション。

あとは、なにも、変わっていない──。


「…はい…はい…ではまた…」
彼女が、受話器を置いた。


“わざわざ、ごめんね”
「ううん。元々、電話が来るかもしれないってことで、私がお留守番して たの」
“そうだったんだ…ありがとう”
僕は、お礼を言った。
電話のことだけじゃなく、他のことにも。

“…僕、もう行くね”
これ以上はいられない、そう思ったから。
「…ダメ、行かないで」
そんな事言われても、困る。
僕だって、出来ることならずっと一緒にいたいのに…。

僕は、ベランダの方に向かった。玄関より、近いから。

「待ってよ」
彼女の言葉を無視して、僕はベランダに出た。

“あのさあ、ヒカリちゃん”
飛び立つ前に、僕は彼女の方を向いた。


「…なに…?」
これ以上いやなことは言わないで、といった顔で、彼女は言った。

“1つだけ言わせて。
 僕はずっと、見守れなくても、みんなのことに、君に、
 感謝してるから”

僕は、言い終えるとすぐに飛び立った。

振り向かないように、彼女の声を、聞かないように。

そこにあると言われた羽根の存在を意識しながら、全力で、飛んだ。

彼女の目の届かぬ所を目指して。


ごめんねヒカリちゃん。

あんなに想ってくれてるのに、こたえてあげられなくて。

でも、仕方ないんだ。

僕のこの身では、幽霊の身では、君の幸せを背負うには、

これからの幸せを背負うには、


────僕には、重すぎる。





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作成・掲載日:2006/05/14