あの日、あの時の、あの言葉。

今日だったら良かったのに。


『受け入れたくない気持ち』



「おはよう」

今日も私は、着替えを終えるとすぐに、ベランダに出て言った。

“おはよう”

──その声は、もう2週間以上前から聞けなくなってしまったけど。

私にだけ見える、彼。
その彼は、今どの辺りを飛んでいるんだろう?
あの白い羽根で自由に飛び、みんなを見守っているのかな?

そのうち、また戻ってきてくれるよね?
みんなのこと見守るんだったら、また、ここにも来るよね?


…何を言っても、答えがない。

当たり前だよね。彼はもういないんだから。


あの日。彼は私にプレゼントをくれた。

天使のプレゼント。

幸せになってほしい、と言う願いのこもった、

──冷たく寂しい言葉のプレゼントを。



「…ヒカリ?いくら春とは言っても、風邪引くぞ?」

振り向くとそこには、お兄ちゃんがいた。

「はい。ヒカリ」
テイルモンが、上着を差し出してくれた。

「ありがと。でも、もう部屋入るから」

私はそういうと、お兄ちゃんとテイルモンを残して、
リビングに入った。

リビングは、静かだった。
そういえばお母さん、今日用事あるって言ってたっけ?

そんなことを思ってたら、さっきまで私のいた部屋から、
お兄ちゃん達の会話が聞こえてきた。…すっごく小声だったけど。

「なあ太一。…ヒカリを、いつまであのままにしておくつもりなん だ?」
「…わかってる。わかってるけど…。今は、そっとしとくしか…」
「今は今はって、あれから、ヒカリがあんな感じになってから、もう2 週間も」
「わかってる。だから、わかってはいるんだ…。でも、俺達にはどうし ようもないだろ?」
「……」
テイルモンが、声にならない声を出した。
お兄ちゃんの声も、ふるえていた。

「くそ!なんだって、なんだって俺達には力がないんだよ!!
なんだって俺達にはタケルの姿が見えないんだよ…!!」


テイルモンが何か言ってる。声が大きいとか、何か言ってる。

でも、そんなこと私にはどうでも良かった。



知ってたんだ。


知ってたんだ。


私がタケル君と話していたってこと。

毎朝、聞いてたんだね。私の声。

私が、誰と話しているのかってことが、わかるくらいに。

ずっとずっと、寝たふりして聞いてたんだね。


ひどいよ。

何がってわけじゃないけど、ひどいって想う。

確かに、黙っていてくれたことは、嬉しいよ?
…でも、なんでだろう?なにかが、なにかがすっごく、嫌なの。






気がついたら私は、海にいた。

一瞬、またあの闇の海に来てしまったのかと思って怖かったけど、
よく見たら、いつもの、近所の海だった。


登校のために、毎日通る道。

今は春休みだけど、私は学校のパソコンルームにはよく行くから、庭み たいになれた道。

そして、彼もまた、歩いた道。

…天使の羽を付けた彼を初めてみたのも、確かこの道だった。


波立つ海。東京の海。静かなわけでも、格別綺麗なわけでもない。
…私も彼も、そんなところが好きだった。

この道を歩きながら、この海を見るのが。
この、闇の海とは違う、私達人間界の海。
都会の、私達の町の、いるべき場所の海。

…でも、そこに彼はいない。
ううん。ここに彼はいない。


そう。私の隣に、私の上に。
私のそばに、彼はもういない──。



「…ヒカリちゃん?」
名前を呼ばれて振り向くと、京さんと空さんがいた。

「ヒカリちゃん…あ、えっと…その…」
京さんが、めずらしく言葉を詰まらせた。

「…お2人揃って、お出かけですか?」
私が笑顔で聞くと、京さんは焦った顔で言った。

「えっと、うん。あのね、私、この春から中学生でしょ? だからね、その、空さんに、色々と教えてもらってたの!」
「そうなんですか」
そうですか。私に言えないことで話をしていたんですか。
…空さん。京さんのこの、嘘を付けない性格、直してあげて下さい。
……嘘?
そうだ。そう言えば。

「…そう言えば、今日は、エイプリルフールですね」

「え?あ、そうね」
京さんは、ほっとした顔をした。私に何も突っ込まれなかったことで、 安心したのかな。
…本当に、エイプリルフールが向かない人。

「あ、あのさあ、2人とも知ってるかな?」
空さんが言う。

「エイプリルフールって、フランスで始まったって聞いたんだけど、 本当かしら?」

「え?私はインドから始まったって…」
京さんが言った。

「なんか、インドでは3月末に人々が修行をして、4月1日に修行が終わるから、
その日から人々は覚えたことを忘れて元の愚かな人間に戻ってしまうって、
それで、この日を4月バカ、 つまり、」
「…エイプリルフール。って事ですね。詳しいですね。京さん」
私が言うと、京さんは少し照れた。

「そんな〜。ただの受け売りで〜」

「…もしかして、それも賢君?」
空さんが言った。…それも?

「あはは。わかっちゃいました〜?」

「…どういうことなんですか?」
私は、照れ笑いする京さんに言った。

「え…。ヒカリちゃん、聞いてなかったの…?」
「あ、空さんその、私が賢君と仲良くなってきたのって、 あの日のあとで…」
京さんが言った。

なるほど。そういうことですか。

要するに、あの日──つまり、正門で起こったあの事件の日。
あの日よりあとに、京さんと賢君の仲が深まってきたと。
それで──。

「え、えっとねヒカリちゃん。気になると思うから言っちゃうけど、
私と賢君、ちょっとした偶然からよく電話とかするようになってね 、それでね、最近ちょっと私賢君のこと…」
「わかってます。好きな人の言ったことって、どんなことでも覚えます からね」
私がそう言うと、2人の顔が少し変わった。
…しまった、と言うか、そんな感じ。

「…どうかしました?」
私は、聞いてみた。どうしてそんなに固まるのか気になったから。

「…だって…その…好きな人って…」
「それが、どうかしましたか?」
「え…」
京さんは、言葉をなくした。


少し、気まずい沈黙が流れた中。
「ヒカリちゃん。私、前から話をしたかったことがあるの」
そう切り出したのは、意外にも空さんだった。

「話、ですか?」

「うん。タケル君のこと」



静かだった。ここが東京だってことを忘れるくらいに。
海の音だけ。ここが都会だってことを忘れるくらいに。




「そ、空さん…」
焦る京さんに、目で合図をすると、空さんは話し出した。

「ヒカリちゃん。首を振るだけで良いから、答えてちょうだい。
…あなたは、タケル君のことが好きだったの?」
私は、全力で首を横に振った。…過去形じゃない。

「…じゃあ、タケル君のことは、大好き?」
縦に振る。しっかりと。頷く。

「…仮にも彼が、そばにいなくても?」
うん。

「守ってもくれなくても?」
うん。

「見ることすらしてくれなくても?」

私は少しだけ止まってしまったが、すぐに、頷いた。


「…それも、愛情だから。」
私は、言った。

「それも、優しさだから。私のことを想ってくれてる、気持ちだから。」

私は、空さんの目を見て言った。

──それと同時に、私の中にあったもやもや感も、少し晴れた。

彼は、私のことを想って言ってくれた。
それはわかってはいることでも、なかなか受け入れられなかった。

ここ2週間以上、ずっと。あきらめられなかった。

希望は、彼の中心だから。1番の個性だから。
だから、私は希望を持って彼を待っていた。

でも、それはどこか寂しさと怒りがあった。

なんで私を置いてったのか、なんであんなことを言ったのか。
…会いたいって気持ちよりも、それを聞きたい方が上だったかもしれな い。

それほど、受け入れたくなかった。
あんなの、私のチョコレートのお礼なんかじゃない。受け取れない。

あの日がエイプリルフールならよかったのに。
何度もそう想った。

あれが、嘘ならよかったのに。
って。

でも、もう、いいんだ。

空さんに言われて、気付いた。
ああいう厳しさも、愛情なんだね。

厳しくて冷たくても、それは私のため。

…それに気付かせてくれて、ありがとう。空さん。

──それから、ありがとう。タケル君。


私は、雲一つない青空を見上げた。

この空を今、タケル君が見ているかもしれない。
この空のどこかを今、飛んでいるのかもしれない。

星空かもしれないけど。冷たい寒空かもしれないけど。

でも、私は、このあたたかな空の下にいるから。
ずっとずっと待ってるから。

何を言われたって、待ってるから。

…また、会える日を…。






──“僕が幸せじゃあ、いけないと思うんだ。…ヒカリちゃんの為に。
僕がいると、ヒカリちゃんの幸せを邪魔しちゃうから”
“…だから、もう、会わないことにするね”──





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作成日:2006/03/31
掲載日:2006/04/01