わかっているつもりでも、わからないことって、たくさんある。
 いつからか、僕は君を見るようになり、君と目が合うと、恥ずかしくなった。
 無意識のうちに、僕に芽生えた淡い心。
 この気持ちが何か、気付くのにそう、時間はかからなかった。
 でも、僕はそれを、そっとしておいたんだ。
 その芽が育つのかどうか、僕にもまだわからない。
 今は、順調に育っているみたいだけど、花は咲くのかな。
 育てるための水も、土も、太陽も、わからないけれど。
 日々、君と過ごす間に、ゆっくりと、成長していった。
 君が僕の視線に気付いた時。振り向いた時。
 僕の中の芽は、少しずつ、つぼみをつけていく。
「おはよう、タケルくん」
 声をかけると植物は育つって、テレビで言ってたっけ。
 こうやって育っていく芽がどうなるのか、僕にはまだわからないけれど。
 でも、今はただ、毎日が楽しいんだ。
 未来は、どうなるのかわからないから。
 たとえ枯れてしまったとしても、忘れてしまったとしても。
「おはよう、ヒカリちゃん」
 こうして、一緒に過ごせる時間が、大切なんだ。
 君もそうだと、いいんだけど。

 *  *  *

 わからないと思っているけど、本当は、わかっていることがある。
 いつか、変わってしまう時が来るって、こと。
 気付かない間に、私は怖くなってきたの。
 だから、わからないふり、しておこうかなって。
 まだ、子どものままでいたいから。
 その気持ちがよくないことは、わかっているけれど。
 今は、ただ、今だけを見ていたくて。
 いつかきっと、未来に向かって走れる私に、なれるから。
 毎日を過ごす中で、ゆっくりと、成長していくね。
 女の子らしくおしゃれしたり、放課後は遊びに行ったり。
 誰かを好きになったら、デートとかもするのかな。
 私にはまだ、ちょっとよくわからないけれど。
 この変わらない日常の先に、そんな日常が待っているのだとしたら。
 たぶんそれはきっと、楽しいことだよね。
 でも、今はただ、この毎日が楽しいの。
 変わってしまうのは、怖いけれど、もし、変わってしまうとしたら。
 そのときはゆっくりと、気付かないくらい、自然に変わってほしいな。今は、みんなと、大好きな人たちと、ずっとそばにいたいから。
 こうして、一緒に過ごせる時間が、大切なの。
 また今日も、時が流れていく。

 *  *  *  *  *

 小学生も、今年で終わる。
 色々あった六年間。振り返ると、数え切れないくらいの思い出が残っている。
 来年から、中学生。
 きっと、また、色々なことが起きて、たくさんの思い出ができる。
 楽しみで、楽しみで、ちょっとだけ、寂しくて。
 変わることと変わらないこと。
 まだ、僕にはわからないけれど。
 だから、未来が、楽しみなんだ。
 たくさん、望みもあるしね。
 その内の一つ。
 また、ヒカリちゃんと一緒のクラスになれますように。
 後ろから見守るだけだけど、それが続けられれば、僕は嬉しい。
 たまに僕を見てくれる、その瞬間が、嬉しいんだ。
 でも、君は気付いてるよね。僕の気持ち。
 だからこそ、言葉には、出せないけれど。
 それでも、この場所だけは、譲れないんだ。
 隣にいたいとか、見てほしいとか、今は、まだ、いいから。
 近くにいる。
 僕たちは、こんなに近くにいるんだから。
 これ以上なんて、今は、いらないんだ。


 *  *  *

 小学生も、今年が最後。色々あったね。
 たくさんの人に迷惑もかけたけど、どれも、大切な思い出。
 中学生になっても、また、よろしくね。
 もう、何が起きても、大丈夫。
 みんながいるもの。
 でも、ちょっとだけ、心配なの。
 変わるわけではないけれど、変わってしまう日常が、あるから。
 また、お兄ちゃんと、離れてしまう。
 電車通学のお兄ちゃんと、徒歩通学の私。
 わかっているのに。
 当たり前だから、心配なの。
 これは私の、たった一つのわがまま。
 まだ、お兄ちゃんと一緒に、いられますように。
 今のこの幸せな時間が、少しでも長く続きますように。
 いつも私を気にしてくれる。優しい時間が、大好きなの。
 お兄ちゃんは、気付いてないと思うけど、
 私は、お兄ちゃんが一番好きなの。
 だから、この場所だけは、譲りたくない。
 隣にいられなくても、遠くを見ていたとしても、
 近くにいる。
 私たちは、兄妹だもんね。
 これ以上なんて、きっと、ないから。


 *  *  *  *  *

 小学生最後の、バレンタインがやってきた。
 だからなのかな。去年よりも、すっごく多かったのは。
 去年の数なんて正確には覚えてないけれど、たぶん、十個以上は多いと思う。
 でも、どれも食べなかった。食べたくなかった。
 チョコレートは好きだけど、「意味のあるチョコレート」は食べたくない。
 たった一つ食べたのは、ヒカリちゃんからの、
 義理チョコ。
 あとは全部、ブイモンにあげちゃった。だって、捨てるのはもったいないしね。
 そう言ったら、ヒカリちゃん、笑ってた。
「モテる人は、大変だね」って。
 ヒカリちゃんだって、人気は高いんだよ。可愛いんだから。
 僕も笑って、そう返した。
 君は、「そんなことないわよ」って否定してたけど、僕は知ってる。君を見ている人が、増えたこと。
 男子版のバレンタインがあったら、君だってたくさんもらうかもしれないってこと。
 よかった。バレンタインが、女の子のもので。
 もし、君がたくさんの人からチョコレートをもらっていたら。僕だったらきっと、耐えられないから。

 ・・・ヒカリちゃんは、笑っていられるんだね。

 *  *  *

 今年のバレンタインは、去年と少し違っていた。
 同学年だけじゃなくて、後輩達まで、タケルくんにチョコを渡しに来ていたから。だから、私がチョコをあげた時、ちょっとだけ、にらまれちゃった。
 クラスメートは義理チョコだって知ってるけど、後輩達には、そうは見えなかったみたい。でも、大輔くんにもあげたら、納得してくれたみたいだった。
 簡単に渡せる私のこと、少し羨ましそうにしてたけど。
 みんな、頑張って作って、勇気出して渡したんだもんね。
 それなのに、タケルくんったら、全部ブイモンにあげちゃって。捨てるのはもったいないけど、気持ちを受け取れないから食べられないなんて、
 モテる人は、大変だね。
 そう言ったらタケルくん、私も人気がある、なんて言ってきた。「可愛いんだから」って。
 私は、そんなことないって否定したけど、少し、嬉しかった。どうしてなのかな。自然に言ってくれたことが、私を嬉しくさせたの。今年も、バレンタインで女の子らしく輝いたりはしなかったけど、おかげで、自信が出てきたのよ。
 モテる人に「可愛い女の子」って言われるくらいに、成長できたんだって、思ったから。
 お兄ちゃんも、私の成長、誇らしく思ってくれてたら、いいな。私はまた、タケルくんに笑いかけた。
 ありがとう、タケルくん。

 *  *  *  *  *

 中学生になって、大きく変わったことがあった。
 それは、ヒカリちゃんと、クラスが離れてしまったこと。
 部活もあるし、僕らが一緒にいる時間は、ほとんどなくなってしまった。それでも、心の距離は何も変わらない。それは、わかってる。でも、変わらないことも、辛いんだ。離れてみて、痛いほどわかった。
 僕は、ヒカリちゃんの近くにいたいんだ。
 ヒカリちゃんに、もっと近くにいてほしいんだ。
 今まで、近すぎて気付かなかった。その状態が幸せだったってことは、わかっていたのに。
 離れてしまうことが、こんなに寂しいだなんて。
 何も変わらないことが、こんなにも苦しいだなんて。
 それなのに、僕はまだ、何も言えないんだ。
 僕のわがままを、君に押しつけるみたいで。困らせたくなくて。
 それに、怖くて。
 変わってしまうことも怖いだなんて。情けなくて、ごめんね。
 僕も、もっと成長しないとね。
 君は、見るたびに可愛くなって、綺麗になっていくんだから。
 ヒカリちゃんが大人に近づくのなら、僕も頑張るよ。
 遠く離れていかないように、君を追いかけるから。
 君が誰かを選ぶ前に、僕が君を捕まえる。
 今日も僕の視界には、君が見えないけれど。

 *  *  *

 中学生になって、何かが大きく変わってしまった。
 朝、お兄ちゃんが早く出るようになったから、だけじゃない。それはわかっていたことだけど、思ってもなかったことが起きたの。
 タケルくんとも、大輔くんとも、クラスが離れてしまったこと。なんで、考えなかったんだろうね。離れてしまうかもしれないってことを。
 きっと、わかっていたから。
 いつかこんな日が来てしまうことが。何かが変わってしまうことが。
 今まで、気付かないふりをしていたのよね。幸せを、感じていたくて。
 離れてしまうことは、とても寂しいことだから。
 心は何も変わらないって、わかっているのにね。それなのに、不安で不安で、つい、空元気の笑顔を見せてしまう。
 お兄ちゃんも、テイルモンも、タケルくんも、その笑顔の意味、知っているのに。
 それでも、みんな、何も言わないの。
 お兄ちゃんもテイルモンも、私を信じて見守るだけなの。
 私、もっと成長しないとね・・。
 いつまでも、二人に甘えてちゃいけないよね。
 私の知らない所で、私は勝手に大人になってしまうんだから。迷惑かけないように、心配されないように、頑張らないとね。
 それに、一人になったわけじゃ、ないから。
 だって、京さんとまた、同じ学校なんだもの。

 *  *  *  *  *

 いつかって、いつだろう。大人になるって、何だろう。
 僕はいつまで、踏み出さないままなんだろう。自分で自分が嫌に感じてくる。
 中学に入ったと思ったら、あっという間にバレンタインの季節になっていた。
 ううん、わかっていたよ。運動会、文化祭、クリスマス。
 たくさんたくさん、行事があった。何でもない日に、何度も君とすれ違った。
 それなのに、僕は何も出来なかった。君の瞳の先が、何も変わらないって、わかったから。
 いつでも君は、誰かを見ている。変わらないんだ。
 太一さん、テイルモン、京さん。君の前にいて、いつも僕よりも前にいる人。
 そう、君が、求めている人。
「タケルくん!」
 不意に呼びかけられて顔を上げると、「はい♪」と、チョコが差し出された。今年のバレンタインも、僕が食べるのは、たくさんのチョコの中、この一個だけ。
「相変わらず、モテるね」・・嬉しくないよ。嬉しくないんだ。
 それでも、僕は笑うしかない。君が笑ってくれるなら。
 僕は女の子じゃないから、京さんのように、一緒にチョコは作れない。
 僕はパートナーじゃないから、テイルモンのように、近くにはいられない。
 僕はお兄ちゃんじゃないから、太一さんのように、ヒカリちゃんを守れない。
 友達でもいい、近くにいなくてもいい、でも、たった一つだけ・・・。
 ・・・ううん、そんなこと、言えないよね。
 守らせてほしいだなんて、まだ幼い僕には、言えないよ。

 *  *  *

 京さんと作ったチョコ。今年も、本命はいなかった。
 一番のチョコはお兄ちゃんだけど、それだけ。
 中学に入っても、私は何も変わらないまま、バレンタインを迎えた。
 友達もできたし、寂しくなんてない。そんなの、嘘。
 タケルくんとすれ違うたびに、遠くなった距離を実感したの。いつも近くにいてくれたのに、変わってしまったような気がして。でも、心までは変わってないよね。離れてなんて、いかないよね。
 大丈夫。タケルくんは、それを一番嫌うから。
 変わらないでくれてるって、知ってるから。
 今日も、みんなで集まろうっていう呼びかけに、真っ先に答えてくれたね。
 タケルくんは、変わらない笑顔で「ありがとう」と言って、チョコを受け取ってくれた。横では、タケルくん宛の本命チョコたちを、ブイモンとパタモンが取り合ってる。
 場所が変わっても「相変わらず」なことが、嬉しかった。
 嬉しくて、つい、笑ってしまった。こうして笑える時間が、嬉しかったの。
 変わらない時間をくれて、ありがとう。
 おかげで私は、みんな変わらずにいられる、そんな希望が持てるの。
 タケルくんには、感謝してばっかりだね。
 来年は、チョコに感謝のメッセージでも、入れようかな。
 ・・・ううん、もっと早く伝えないと、ダメだよね。
 いつかタケルくんに、彼女ができるかも、しれないんだから。

 *  *  *  *  *

 今日も、部活が終わる。学校にいるのは、ごくわずかな人だけ。仲間達と一緒に部室を出て、門へと向かう。この光景は、もう当たり前の行動だ。僕らは中学二年生になり、部の中心になっていく。当たり前の変化だ。
 なのに僕は、進化しない。いつまでたっても、幼年期のままだ。
 ヒカリちゃんとは、クラスが一緒になった。受験の関係で三年生は持ち上がりだし、これで二年間、またヒカリちゃんと一緒にいられる。
 ・・・それなのに、僕はどこかで、嬉しくない気持ちがあった。
「そういや、タケは今度の試合、誰か呼んでんのか?」
 部活仲間に聞かれて、一瞬、心がぐらついた。
「べつに誰も」そう答えながらも、内心、ヒカリちゃんの顔が浮かぶ。
「マジかよ。夏前に彼女つくっといたほうが絶対いいぞ」・・ほっといてよ。
 それに、つくるって言葉はやめてほしい。そういうのって、違うだろ?
 彼女になってくれる。そういう考えって、出来ないのかな。
 なんて、べつに言わないけど。雰囲気で悟ってくれたのか、それ以上は聞いてこなかった。
 でも、ごめん。八つ当たりして。わかってるんだ。早くしなきゃいけないって。
 同じクラスになって、チャンスがたくさん戻ってきた。
 あの頃と同じ、いつでも一緒の三人組になったんだから。
 でも、だから僕は焦るんだ。もう、言い訳出来ないなって。
 ただでさえ、綺麗になったヒカリちゃんを見る人は増えてる。
「あ。門のとこにいる奴、八神じゃね?」・・僕よりも早く、見つけられてしまうんだ。

 *  *  *

 今日の放課後は、京さんとお買い物。
 その、はずだったのに。
「校門で待ち合わせね♪」
 いつもの約束、いつもの場所だったのに。
 京さんは中学三年生になって、塾にも行くようになったし、受験勉強が大変そうだった。
 わかってる。今の京さんに、何が大事かなんて。
「ヒカリちゃんも、青春しといた方がいいわよ!」って、最近は会うたびに言ってたっけ。
 二年生の間に、楽しんだほうがいいのは、わかってる。
 ・・・だから、友達と、京さんと、一緒にいたかったのに。
 また学校が離れたら、放課後に待ち合わせて遊ぶなんて、できないんだよね。
 お兄ちゃんと同じ。学校が遠いと、それだけで寂しくなる。
 でも、タケルくんとも大輔くんとも、また同じクラスになれたから。
 誰かと離れると、誰かと近づく。出会いと別れの楽しさは、知っているわ。
 だから、心からの笑顔で、祝福できたのよ。そうでしょ?
「あ、あのねヒ、ヒカリちゃん!わわわ私、け、賢くんとつきあうことになったの!!」
 パニクりながら、京さんが報告してきた春。本当に嬉しかった。
 でも、ごめんなさい。本当に嬉しかったのに、どうしようもなく寂しくなってしまったの。
 ずっと片思いの話を聞いてたのに、私は何もできなかった。
 それでも京さんは、私がいなくてもいいみたいに、幸せそうで。
 京さんは今日、賢くんからの連絡をもらって、急遽予定を変更した。ただでさえ忙しくなってきたのに。会えなくなってきたのに。
 だからわかるの。遠くて寂しくて、会える時間が、大事な気持ち。

 *  *  *

「ヒカリちゃん」
 僕は、部活仲間に断って、ヒカリちゃんに声をかけた。
 からかう人もいたけど、もう、そんなのには慣れたから。
 今はそんなの気にしてる場合じゃないし。
「ヒカリちゃん?」
 明らかに様子がおかしい。呼びかけても、俯いたままで、返事をしてくれない。
「大丈夫?どうしたの?」
 お願い、顔を上げて。
「ヒカリちゃん」
 何度も呼びかける。今ここには、僕しかいないから。
 他の誰を呼びに行くでも、連絡をするでもない。
 僕は、僕だけの力で、君を守りたいんだ。
 それがどれだけ、傲慢で身勝手なことかってわかってる。
 でも、それでも今、君の隣にいるのは、僕だけなんだ。
 こんな場合だけど、僕は嬉しかった。いつだって、君の近くにいたかったんだから。
 どれだけ背が伸びても、声が変わっても、君は僕を見てくれなかったけれど。
 君のこと、いつだって、見ていたんだよ。
 こんな僕の気持ち、君は、わかってたはずだ。
 ねえ、お願い。顔を上げてよ。
 僕を、見てよ。
 ヒカリちゃんが、顔を上げた。僕は思わず笑顔になった。
 でも、ヒカリちゃんは・・・。

 *  *  *

 タケルくんの足音がする。走って、迎えに来てくれる。
 いつも、一人でも、私を助けに来てくれる。
 いつも一緒の私たち。からかわれても、一緒にいた私たち。
 何があっても、変わらない、そう思っていた、私達。
 タケルくんが、必死に呼びかけてくれる。顔、上げなきゃいけないの、わかってる。でも、おかしいわよね。ずっと、目を合わせてくれなかったのに。
 ずっと変わらないけれど、最初に変わってしまったのは、タケルくんだった。
 誰よりも、変化が目に付いてしまったのよ。君が、目をそらすようになったから。
 私たちは、いつの間にか、照れるようになっていたの。
 そう、私たちはいつも、一緒に変化してたよね。
 それなのに、タケルくんだけが変わっていくみたいだった。
 それでも、タケルくんは変わらないでいてくれた。
 私に、合わせてくれた。いつだって、私を一番に考えてくれた。どれだけ背が伸びても、声が変わってしまっても。
 私のこと、いつだって、一番わかってくれてたんだ。
 お兄ちゃんでもない、テイルモンでもない、京さんでもない、私の一番の、理解者。
 ねえ、お願い。約束して。
 私から離れないって。変わらないって。
 変わる時は、一緒だよ。って。
「ねえ、タケルくん・・・」

 *  *  *

「京さんが、来ないの」
 顔を上げたヒカリちゃんは、涙目に笑みを浮かべてそう言った。実際、校舎の電気はほとんど消え、もう運動部が数人片づけにいるだけだろう。でも、ヒカリちゃんはそれを知っているはず。わかってて言ってるんだ。
「先に、行っちゃったんだね・・」
 僕の言葉に、ヒカリちゃんは頷いた。嬉しそうに、頷いた。
「タケルくんは、いつもわかってくれるね」
 そう言って、笑った。
 僕は、つられて笑うことは出来なかった。
 二人はいつも、ここで待ち合わせしていた。待ってる君は、今と同じ嬉しそうな笑顔。
 でも、違うよ。いつものヒカリちゃんは、涙目になんか、ならない。
 ヒカリちゃんにこんな寂しそうな顔を、させるなんて。
 それは、近くにいる人の特権だ。離れていける人だけの、特権だ。たとえそれが信頼の証だとしても、僕にその真似は、出来ない。
 ヒカリちゃんは、寂しそうに、辛そうに言う。
「タケルくんは、変わらないよね?」
 大丈夫。絶対に、君を寂しがらせないから。
「離れていったり、しないよね?」
 僕はいつでも、君のそばにいるよ。約束する。
 何かを繋ぎ止めようと、必死そうな君。その繊細な君を、守りたい。
 僕は思わず、ヒカリちゃんの肩を掴んだ。
 抱き寄せることは出来ないけれど、出来ることなら、抱きしめたい。
 一瞬の葛藤。僕は、その勢いに、負けた。

 *  *  *

 タケルくんには、何でも言えてしまう気がする。
 私の頭の中が、誰でいっぱいになってしまっていても、受け止めてくれる気がするの。
 矛盾した気持ちも、誰にも言えない寂しさも。
 京さんが来ないことはわかってる。笑って背中を押してあげたのに。
 そんな私の気持ちを、タケルくんは、何も言わなくてもわかってくれた。
 嬉しかった。このもやもやした気持ち、悪い気持ち。それすらも受け止めてくれる君が。
 やっぱりタケルくんは、私をわかってくれるんだね。
 私が困った時、悩んだ時、いつでも声をかけてくれた。
 いつも、私を見ていてくれる。遠くに行かないで、見守ってくれている。
 でも、違うのかもしれない。それは決して、いつもではないのかもしれない。
 去年一年間、クラスが離れただけで、とても寂しかったの。
 それでも見ていてくれたこと、変わらなかったことに、救われただけ。
 それがタケルくんの優しさだとしたら。その優しさは、私だけのものじゃない。
 私はまた、変わってしまうことが、怖く感じられた。
 でも、タケルくんは「大丈夫」と言ってくれる。
「絶対」って約束してくれる。
 もう、寂しくさせないって。私のそばにいてくれるって。
 どんなに不安になっても、タケルくんは、私を安心させてくれる。
 肩に触れたタケルくんの手。とってもあたたかくて、力強い。
 ねえ、タケルくん。これからも、今までと変わらず、一緒にいたいの。
 だから、これも、約束してくれる?

 *  *  *












「私とずっと、友達でいてくれる?」


























「・・・もちろんだよ」












 抱きしめようとした僕の腕は、僕の言葉で、止まった。
 一瞬、何を言ったのかわからなかった。何を聞いたのか、わからなかった。
 でも僕は、すぐに、君の笑顔を選んだんだ。
 僕がここで否定したら。抱きしめていたら。
 君は戸惑ったよね。今度こそ、誰にも何も言えなくなってしまったかもしれない。
 今はもう、以前みたいに、京さんへの連絡は出来ないだろう。
 太一さんに泣きつくことも、テイルモンに飛びつくことも。
 なら、僕は変わらないでいるよ。いつでも、君が頼れる場所でいるよ。
 君が安心できる場所は、他でもない、ここなんだ。
 それなら僕は、嬉しいよ。嬉しいさ。
 ・・・でも、ごめん、ヒカリちゃん。
 今日はもう、君の顔を真っ直ぐ見られないかも知れない。
 すぐにでも帰ろう。歩きだそう。
 君に、涙を悟られないうちに。
 幸い暗い時間だから、きっと君は気付かない。
 不幸にも暗い時間だから、君を家まで送っていかなければならないけれど。
 どうしてだろう。こんなに君の近くにいられるのに。
 少しでも長くいられる時間が、こんなに逃げたい時間になるなんてね。
 わかっていたんだ。君が僕に求めていることが何かなんてこと。
 だって、ずっと見てたんだから。

 *  *  *

 タケルくんは、少し間をおいてから、いつもの笑顔で答えてくれた。
 あまりに当たり前の問いに、寂しかったのかもしれない。
 ごめんね。変なこと、聞いて。
 変わらないでいてくれてるって、知っていたのに。
 でも、ありがとう。
 嘘みたいなくらいに、心が晴れてきたわ。
 今までだったら、お兄ちゃんに泣きついてたところだけど、もう、甘えられないから。
 タケルくんには、いつも甘えて頼って、ごめんね。
 いつか、タケルくんからも、自立しないといけないのにね。
 でも、その『いつか』が来るまで、頼っててもいいかな。
 ・・・もちろん、タケルくんに彼女とかできたら、すぐにでも、離れるから。
 私から離れることなんて、できるのかわからないけれど。
 タケルくんは、歩き出した。私よりも速い足取りで。
 いつの間にか、ずいぶんと背が高くなって、たくましくなった。
 でも、その変化すら、幸せの証だと思えてきたの。
 一緒にいた時間を感じられたみたいで、嬉しいの。成長することが、誇らしく感じるの。
 どうしてだろう。さっきまで、あんなに辛かったのにね。
 この気持ちが、この時間が、ずっと続けばいいのに。
 わかってるわ。タケルくんに依存してるってことくらい。
 だけど、もう少し、甘えさせて。

 *  *  *

 僕は泣いた。家に帰らず、泣いた。
 パタモンに見られたくなくて。母さんに悟られたくなくて。
 公園に一人、僕は泣いた。
 情けない姿、誰にも見られたくなかった。
 なのに、どうしてだろう。
「タケルか?」・・・部活帰りの大輔君に、見つかってしまうだなんて。
 僕は、逃げた。不本意ながら、走り帰った。
 大輔君が追ってくる。でも、僕は追いつかせなかった。
 マンションに着く頃には、もう誰も追ってこなかった。
 ごめん。本当にごめん。
 でも、今会ったらきっと、八つ当たりしてしまうから。
 僕は、しばらくそこに座り込んだ。
 こんな時、僕が頼れるのは誰なんだろう。
 僕が安心できるのは、ヒカリちゃんと同じ、お兄ちゃんだった。
 でも、今は、どうしていいのかわからない。
 誰にもぶつけられない。どうしてだかわからないけど、僕は、僕にだけ、ぶつけたかった。
 情けない怒りと、一生守れるという約束。
 頼ってもらえた嬉しさと、伝わっていなかった気持ち。
 君は気付いているんだと、思ってた。僕たちは、ずっと一緒だと思ってた。
 僕は泣いた。笑いながら、泣いた。

 *  *  *

「ご機嫌ね、ヒカリ」
 着替え終わった私に、テイルモンが言った。
 タケルくんに送ってもらってからずっと、私は嬉しい気持ちが続いていた。
「タケルと、何かあったの?」
 ためらいがちに、冗談まじりで、テイルモンは聞いてくる。
「あったわけじゃないの。何も、変わらなかっただけ」
 それだけ。
 嬉しそうに言う私に、テイルモンはわかったような、わからないような顔をした。
「そう・・・」という顔が、少しだけ、寂しそうな気がした。
 ごめんね、テイルモン。私、まだ誰かに甘えていたいの。
 変わらないでいたいのよ。変わらなきゃいけないことは、とっくにわかっているのに。
 でも、それをわかってくれてるから、何も言わないのよね。
 本当にごめんね。私、テイルモンにも甘えてばかり。
 早く大人になりたいのに、なりたくないの。今は、このままがいいの。
「ただいまー」
 いつもの時間。お兄ちゃんが帰ってきた。
「おかえりなさーい」
 部屋から、大きく言った。こんな時、私はやっぱり嬉しくなるの。
 私が安心できる時間。変わらない時間。戻ることはないけれど、変わらないでほしい時間。
 でも、変わりたい気持ちもあるのよ。
 だから、このドアは開けない。開けてお兄ちゃんに会いには行かない。
 今の私ができる、精一杯の抵抗なの。
 戻れない寂しさと、変わっていく嬉しさ。
 タケルくんはきっと、私より早く気づいていたね。
 ありがとう。気づかせてくれて。
 一緒に歩いてくれて、ありがとう。

 *  *  *  *  *

 あの日から半年。僕らは何も変わらず、今年もバレンタインを迎える。
 大輔君が一度だけ聞いてきたけど、僕が何も答えないから、何も聞かなくなった。
 誰にも何も、あの日のことは言っていない。言えないんだ。言葉にできなくて。
 ヒカリちゃんを心配させたくなくて、僕は本音をひたすら隠し続けた。
 一緒の時間が嬉しくて楽しい。そんな、小学生の頃みたいな気持ちに、戻りたかった。戻れないことくらい、わかっているのに。
 変わっていく楽しさ、嬉しさ、誇らしさ。どこに失ってしまったのだろう。希望をなくしたら、僕じゃないのにね。今は、何を望んでいいのかわからないんだ。
 君の笑顔を消してまで、この思いは伝えられない。
 君の笑顔が見られるのなら、この思いは、変わっていっていい。
 今はただ、僕の気持ちが変わるのを待つだけ。
 また今年も、ヒカリちゃんは義理チョコをくれた。君の気持ちは、ずっと変わらない。
 僕はまた、笑顔で受け取る。ほかのチョコに目もくれず。
 本命チョコはいらないよ。誰からだっていらないよ。
 いつか君がくれる時が来るとか、もう、そんなことは思わないから。
 でも、変わっていくことに、どこか望みを失わないでいる。去年と違うことが起きたから。
 大輔君が、ヒカリちゃんからの義理チョコを、喜ばなかった。
 三人一緒にいたからわかる。大輔君が、あの頃と同じようで違う気持ちを持っていること。
 小学生だったときは、義理チョコがもらえるくらいで幸せだった大輔君。
 それを喜ばないってことは・・。

 *  *  *

 あの日から半年。私たちは何も変わらず、今年もバレンタインを迎えた。
 去年と変わらない手作りチョコ。京さんと、作った。作れたの。
 でも、京さんは、本命チョコ以外は買うって言ってた。
「ヒカリちゃんも、今年は一個にしてみたら?」って、言ってくれたけど、私は今年も、小さくてたくさんのチョコを作ったの。
 いつか、京さんみたいに、大切な一人だけのために、作れたらいいのにね。
 その気持ちが、今の私には、まだよくわからないけれど。
 でも今は、変わっていくかもしれないことが、少しだけ楽しく感じるのよ。変わらないことがあるから、安心して、前に進める。そんな気がするの。
 光が輝きを失ってはいけないよね。でも、その輝きをくれるのは、希望なのよ。
 だから今年は、ありがとうの気持ちを込めて。
 いつもと変わらず、タケルくんはチョコを受け取ってくれた。
 そしてまた、本命チョコの山は、ブイモンのお腹の中。
 毎年毎年、ブイモンは嬉しそうにそれを食べている。変わらない光景。
 私たち三人が、同い年でよかった。また同じクラスになれて、よかった。
 でも、今年は、違うことが起きたの。
「はい。大輔くん」
 いつも通り、大輔くんにもあげたの。タケルくんと、同じのを。
 いつもだったら、「やった!ありがとうヒカリちゃ〜ん!」って、喜んでくれるのに。
「・・・あのさ、ヒカリちゃん」
 大輔くんは、静かに言ったの。
 雰囲気が、厳しいときのお兄ちゃんに似ていて、なんだか、怖かった。

 *  *  *

「俺が受け取っちゃダメなんだ。ヒカリちゃんのチョコは、他の奴がほしがってる」
 不安に思っていた僕の耳に、大輔君の言葉が届いた。
 瞬間、僕の心は安堵と驚きに包まれた。どちらの方が大きいのか、わからない。
「?どういう・・こと?」
 ヒカリちゃんが、怖々聞いた。
「いやだからその・・。義理チョコでも、くれるのはすげー嬉しいんだけど、さ」
 大輔君自身も、何と言っていいのかわからないように、しどろもどろで言う。
 僕は、続きが怖かった。大輔君が本命チョコを欲しがらなかったのは、よかったんだけど。
「なんつーんだろ・・。オレは、オレがヒカリちゃんから義理チョコをもらうよりも、ヒカリちゃんがタ・・いや、誰かに本命チョコをあげるほうが、よっぽど嬉しいっつーか、いや、嬉しくはねーけど、いいっつーか・・なんつーか・・」
 よくわかんねーけど。と、大輔君は締めくくった。
 僕も、よくわからないけれど、嬉しかった。
 そして、大輔君が、とっても大人に見えた。いつまでもうじうじしていた自分が、情けなくて仕方がない。
 相手の幸せを願う。簡単でいて難しいことを、やれるんだね。すごいよ。
 僕は、文句なしに尊敬した。余計なこと言いそうになった時は、怖かったけどさ。
 大輔君を見習って、僕も相手の幸せをとことん願えるようにならないとね。せっかく作ってくれたチャンスとはいえ、ヒカリちゃんには本命がいないんだから。
 それに、大輔くんの成長を目の当たりにすると、実感してしまうんだ。
 みんな、どんどん先に行く。変わってしまうってことが。
 ヒカリちゃんはそれを恐れていたから、僕は変わらず友達でいると約束したんだ。

 *  *  *

 大輔くんの言葉の意味が、わからない。
 何かが大きく変わっていく。その怖さがまた、私を襲うの。
 私はいつから、変化が怖くなったんだろう。嬉しいことなのに。はずなのに。
 だから、何が変わったのか、教えてほしいの。喜べるかも、しれないから。
 胸が、ドキドキと嫌な音を立てる。大輔くんの言葉の先が、怖くて。
 いつまでも変わらないでいてくれるのは、タケルくんだけ。
 大輔くんもいつか変わってしまう、離れてしまうのは、わかっていたわ。
 それでもやっぱり、過去を否定されてしまうようで、怖いのよ。
 私だって、未来をまっすぐ信じて、楽しみたいわ。でも、みんなは過去を忘れていく。私だけが覚えていても、ダメなのよ。ひとり、過去に取り残されていくみたいで。
 大輔くんの話は終わった。
 よくわからないけどって言いながら、わかったような顔をして。
 私も、よくわからないけれど、寂しかった。大輔くんが、先に行ってしまったみたいで。
 いつまでも変わらないと信じていた自分が、信じられない。
 いつか私も、誰かに本命チョコをあげたいよ。でも、誰にあげるって言うのよ。
 お兄ちゃんにあげても、家族チョコは超えられない。
 それに、お兄ちゃんにだってもう、きっと・・・。
「私には、本命なんて、いないよ」
 ポソッと呟いた言葉は、トゲトゲしかった。
 大輔くんは、驚いた様子で、「いや・・でも・・」とか言って、タケルくんを見た。
 タケルくんは大好きだよ。でも、本命チョコは渡せないの。
 私はタケルくんと、変わらず友達のままでいたいから。

 *  *  *  *  *

 何も変わらないまま、僕らはついに中学三年生になった。
 互いに受験で忙しくなり、僕は部活も残り少し。
 忙しいと恋愛出来ないなんてテレビでよく言ってるけど、その通りだなって思う。
 僕は、ヒカリちゃんと友達として、変わらず楽しく過ごせていた。
 もっとも、大輔くんに気付かれた今となっては、三人でいる時間が変に思えるけど。
「二人は、もう受験する所決めた?」
 休み時間に、ヒカリちゃんが僕達に聞いてきた。
「オレはまあ、ここだな」
 意外にも、大輔君はすぐに高校リストの一校を示した。
「へ〜。調理関係の学科か」「夢への第一歩だね」
 そう、大輔君には夢がある。
「タケルはどっか決めたのか?」
 誇らしげに、余裕そうに、僕に聞く。
「今のところ、ここかな」
 僕も、リストの一校を指さした。夢はないけど、希望はある。僕のやりたいことは、まだわからないけれど、それを見つけられそうな場所。
 こうやって、みんな別々の道を歩くんだな。そう思った矢先だった。
「あ、私と同じね」
 ヒカリちゃんが、そう言った。そんな、まさか。
「え?だって、ヒカリちゃんにも・・」
 夢があるはずだ。なりたいものが、目指すものが。
「今は、ちゃんと学力つけておきたくて。ちょっと背伸びなんだけどね」
 そう言って君は笑うけど、僕はちょっと、喜べなかった。
 だって、受験が終わったらきっと、また友達関係が辛く感じてしまうから。
「でも、校舎も綺麗で、図書室も充実してたから、行きたいなって」
 話し続けるヒカリちゃんの志望動機は、僕と全く一緒だった。
 どうしよう。一緒に笑いあえることが、楽しくて仕方がなかった。

 *  *  *

 何かが変わったまま、私達は中学三年生になった。
 受験も始まるし、中学生ももうすぐ終わり。変わっていくのは当たり前よね。未来のことを考えるようになって、痛いほどわかったの。
 でもね、未来に想いを馳せるのは、嫌いじゃあない。
 離れていくことは寂しいけれど、みんなの夢が叶うのは、見たいから。
 休み時間に、二人に聞いてみた。これからの、道のこと。
 すぐに、大輔くんは道を示したの。迷いなんてない、楽しみしかないという勢いで。
 夢への第一歩を、大輔くんはもう、踏み出そうとしているのね。
 私はまだ、遠回りでもいいかなって、思ってしまうのだけれど。
 そう思って見ていた志望校の名前。そこを、タケルくんが指さした。
 びっくりした。一瞬、嬉しくて目を疑ったくらいよ。
 みんな別々の道を歩いていく、離れていくと思っていたから。
「私と同じね」
 そう言ってタケルくんを見ると、やっぱり驚いていた。
 みんなが知ってる、私の夢。タケルくんは、「ここでいいの?」っていう目で見てきた。
 たしかに、夢に近い道は他にあるとは思うわ。でも、今は、ゆっくり歩いていきたいの。
 それも険しい道になるかもしれないけれど、私はもっと、強くなりたいから。
 話す私に、タケルくんは珍しく、笑顔になってはくれなかった。
 それでも、最後は笑ってくれた。同じ気持ちだよって、言ってくれたの。
 よかった。志望校変えるって言われたら、どうしようかと思ったわ。
 これからも一緒に笑いあえるように、頑張らないとね。

 *  *  *  *  *

 次の日のこと。久しぶりに、伊織君が家に来た。
「おじゃまします。突然ですみません」
 そう言うと、お土産におはぎをくれた。
「大丈夫だよ。昨日メールくれたしね。わざわざありがとう」
 律儀な所は変わらないね。
 でも、伊織君も中学生になった。背も伸びたし、隠れファンもいるとか。たまに学校で見かけるけど、こうして話すのは久しぶりだな。
 それにしても、急用なんて珍しい。何かあったのかな。お茶を容れながら聞いてみる。
「それが、大輔さんに頼まれまして」
 意外な返答に、少し手を止めた。
「お二人のこと、『もう見てられないからどうにかしてくれ』だそうです」
「・・あぁ、そう」
 呆れ気味に、僕は返事をした。余計なお世話をありがとう、大輔君。
「僕はよくわかりませんが、大輔さんは一番近くで見ていましたからね。あ、どうも」
 お茶を出しながら、僕は思った。ここまで真面目に伝えられる伊織君って、すごいな。
「それで、伊織君は僕に何を聞きに来たのかな」
 まさか、伝えるだけじゃあ、あるまいし。
「それは・・・、タケルさんが、どうして踏み出さないのかを、知りたくて」
 少しだけ躊躇しながら、伊織君は言った。僕の本音を知りたがるのは、伊織君くらいだね。
「本当のところ、タケルさんは、どのように思っているんですか?」
 単刀直入に聞いてくる。真っ直ぐすぎて、僕はそれを避けようとは思えなくなるんだ。年下に高圧的にもなりたくないしね。引き下がらない頑固さも知ってる。
 まったく、大輔君は適任者を送り込んできたもんだな。
 僕は、諦めるような、聞いてほしいような気持ちで、口を開いた。
「本当のところ、臆病者だなって思ってるよ。僕たち二人ともね」

 *  *  *

 次の日のこと。久しぶりに、京さんに誘われた。
「やっぱりお喋りメインって言ったら、ここよね〜」
 去年まではよく来ていたお店。
 全国チェーンのファーストフードだけど、この店舗だけは、特別な場所に思えるの。
 でも、たった一年来なかっただけで、お店の内装は、少し変わってしまっていた。
「昨日いきなり誘ったのに、来てくれてありがとね」
 京さんは、あまり変わっていない。
「いえ、久しぶりですし、嬉しかったです」
 変わったのは、久しぶりだということだけ。
「今日は、ヒカリちゃんにずっと聞きたかったこと聞いちゃおうかなーって思ってね」
 京さんの言葉に、私は少し、動揺した。京さんも、既にパニクり始めてた。
「聞きたいこと、ですか?」
 京さんの様子から、嫌な質問になる予感がした。
「そ!ヒカリちゃんが話してくれれば、でいいんだけどね。私が知りたいだけだし」
 前置きを言い訳のように言うと、京さんはジュースを飲んだ。心を落ち着けるみたいに。
 少しの間の沈黙。私は、怖々待っていた。何を聞かれるか、わかっていたけれど。
「えっとね、私が聞きたいのは、ヒカリちゃんが、どうしたいのか、なの」
 少し躊躇しながら、京さんが口を開いた。漠然とした言い方だけど、遠回しではない。
「本当のところ聞いちゃうね。ヒカリちゃん、タケルくんとこのままでいいと思ってる?」
 やっぱりそう。そのことだと思ったわ。私に聞きたい、たった一つのこと。
 ずっと、勧めていたものね。京さんのように、大切な人に気持ちを伝えることを。
 もう、話さないわけにはいかないわ。だって、こんな直球の質問、はぐらかせないもの。
 私の本命。私の本音。私が、本当に怖がっていたもの。
 誰にも言ってなかった、気持ち。
「・・このままじゃダメだって、わかってます」
 きっと、私たち二人とも、思ってる。

 *  *  *

「わかってるんだ。そんなこと。踏み出さなきゃいけないってことくらい」
 初めて口に出して、思いの外、僕は喋りが止まらなかった。
「気付いてほしいなんて思っていたけど、言わなきゃ通じないこともあるだろうしさ。でも、このままがいいって言われたら、僕はそれを壊せない。近づくことすら出来ない。
 変わることが怖いっていうだけ。二人とも、幼いままなんだ」
 愚痴るように、自分にぶつけるように、僕は一気に喋った。喋ってしまった。
 一息ついて、目の前にいるのが伊織君だって思うと、恥ずかしくなる。でも、伊織君はいたって真面目な顔のまま、黙って聞いてくれていた。
「・・・ありがとう。伊織君」
 言葉に出来て、少し落ち着いた。何も解決はしないけどね。
「いえ、僕のほうこそ、ありがとうございます。タケルさんの本音が聞けて、嬉しいです」
 伊織君は、本当に嬉しそうに言ってくれた。そしてすぐに、考えだした。
「でも、僕にはわかりません。どうすることが最善なのか」真剣に、悩んでくれてる。
「僕も、わからなくなってさ。どうしたいのか。どうすればいいのか」
 結局僕は、ここ何年も、ずっと同じ事を悩んでいたんだと思う。
 どちらも踏み出せないまま、変わらないことを約束してしまった。
 どちらかが動き出さないかぎり、僕らは何も変わらない。
 変えたくないのか、変えたいのか。はっきりさせる時期は、いつなんだろうか。
 急に、頭の上に重みを感じた。気付かない間に、パタモンが部屋に入ってきていたらしい。
「パタモン。どうしたの?」
 頭上に問いかけると、パタモンはのんびりと言った。
「べつに。ただ、ヒカリに好きって言っちゃえばいいのにって思っただけ」

 *  *  *

「わかってるなら、話は早いわね」
 京さんは、少し落ち着いて、大人っぽく言った。
「でも、よかった。『タケルくんとはこのままでいいんです』なんて言われたら、どうしようかと思ったわ」
 ・・・今までずっと、そう答えていて、ごめんなさい。
 初めて口に出して、改めて、嘘をついていたなって、思ったの。
「・・やっと、気付いたことがあるんです。変わりたくなかったんじゃなくて、ただ、タケルくんに、一緒にいてほしかっただけなんだって」
 それを、ずっと認められなかった。
「そっか・・。なんか、面と向かって聞くと、ちょっと照れちゃうわね」
 京さんは赤くなって笑った。つられて、私も少し赤くなる。
「ありがとう。ヒカリちゃん。素直に言ってくれて」
 嬉しそうに、京さんは言った。
「そんな、私のほうこそ、ありがとうございます」
 わざわざ、聞いてくれて。
 私はいつも、周りの人に甘えてばかりね。独り立ちって、いつになったらできるのかな。
「でも、それならどうして、告白しないの?」
 また、京さんが直球で聞いてきた。
「ってあああ、私ったらまた先走っちゃって!ごめんね!そんな簡単じゃないわよね!」
 でも、すぐに謝ってきた。大丈夫ですよ、京さん。
「気にしないでください。気持ちを認めた以上、踏み出すしかないんですから」
 そう、動き出すなら、私からじゃないと、何も変えられないのよね。だって、私は・・・。
「ヒカリちゃん・・・。私でよかったら、いつでも背中押してあげるわよ!」
 京さんの言葉が、綺麗すぎて嬉しくなった。でも・・・。
「ありがとうございます」
 でも、私、どうしたらいいのかわからないんです。
 今さら、好きだなんて、言えないもの。
 だって、約束、させちゃったから。

 *  *  *

「なにしゅんのしゃ、たけりゅー」
 僕は、パタモンの両頬を左右に引っ張った。
「僕にそれだけハッキリ言ったのは、おまえが初めてだよ、パタモン」
 まったくコイツは。みんなオブラートに包んでくれてたのにさ。気遣いが無駄になったじゃないか。というか根本的に、それが答えなら、話は早いんだよ。
「パタモン、盗み聞きは善くないですよ」
 伊織君が、落ち着き払って言った。
 その声に、僕は我に返ってパタモンを離した。でも、お仕置きはあとで絶対してやる。
「わかったよ!じゃあ僕もう聞かないよ!なにさ、アドバイスしてあげたのに」
 そう言うと、パタモンはまた、僕の部屋へと戻っていった。
「・・あれのどこがアドバイスだよ」
 僕の言葉が聞こえてたかどうか、わからなかった。
「まあまあタケルさん」
 なだめる伊織君は、どこか楽しげだった。
「すみません。素のタケルさんって、あまり見たことがなかったので、つい」
 そう言う伊織君の笑顔は、昔とあまり変わっていなかった。
「伊織君のそういう顔も、めったに見られるものじゃなかったけどね」
 少し懐かしくなって、僕も言う。あの頃は、もっと硬い表情ばかりだった気がする。
「そうですか・・?こういうのって、自分ではよくわかりませんね」
 苦笑いする伊織君に、僕も同感だと思った。自分のことは、結局のところ、わからない。
「じゃあ、客観的な意見を聞こうかな。伊織君から見て、僕がどうしたいと思ってるのか」
 僕の問いに、伊織君はまた、難しい顔をした。やっぱり、こっちのが見慣れてる。
 考えてくれているその表情を見て、僕もまた、自分のことを考える。
 僕の気付かない僕の気持ち。僕の顔は、それを映しているのだろうか。

 *  *  *

「なに・・・?それって、どういうこと?」
 私の言葉に、京さんは驚いた。
 初めてハッキリ言ったの。
「私から、約束したんです。ずっと友達でいようって」
 みんながどれだけ気遣ってくれても、すべて私が無駄にしてしまった。
 ううん、だからこそ、私が動けば、話は早いのよね。
「え?で、でも、どうしてそんな・・・!」
 京さんは、落ち着かない様子で、そう言った。
 その声に、私もだんだん、落ち着かなくなってくる。
「わからないわよ、私には、ヒカリちゃんの気持ちも、タケル君の、気持ちも・・・」
 京さんは、私よりも遥かに思いつめた顔で、そう言った。
「・・京さん」
 私の分まで悩んでしまいそうなその顔を見て、いたたまれなくなる。
「だって、お互い好きなのに、それを抑えつけるなんて」
 ・・違うんです。
 「認められなかっただけなんです。友達が一番だって、勘違いしてただけなんです」
 変わらない関係でいたかった。近いままでいたかった。それだけだったのよね、きっと。
「ヒカリちゃん・・・」
 泣きそうな京さんを見て、私も涙が出そうになる。
 「私、どうしたらいいんでしょう・・・!」
 誰かに泣きつくなんて、久しぶりだった。

「自分で自分のことがわからなくて、許せなくて。もう、誰にも迷惑かけたくないのに!」
 自立するとか甘えないとか、大人になるとか、変わりたくないとか。
「迷惑かけていいから!許さなくてもいから!だからヒカリちゃん、思いっきり泣いて」
 涙をぼろぼろこぼしながら、京さんは言った。言ってくれた。
 私のために泣く姿を見て、私も、涙がこぼれてきた。
 私はやっと気付いたの。泣くほど、タケルくんが好きだったんだって。

 *  *  *

「僕から見たタケルさんは、ヒカリさんのことを変わらず好きでいたいんだと、思います」
 伊織君の出した答えは、あまりにも、僕の気持ちそのものだった。
「その先をどうしたいかという意味で言うなら、ずっと、そばにいたい。違いますか?」
 客観的に導き出された結論は、簡潔で、明瞭で、わかりきっていたことで。
 それでも、僕の中の何かが、すっと消えていくような、そんな気分だった。
「・・・そうだよ。その通りだ」
 僕は、たったそれだけの答えを出すことも出来なかった。
 言われて、初めて気付いたよ。その気持ちだけで、よかったってこと。踏み出せないとか、動かないととか、結局は言い訳だったんだね。
「好きは好き。近くにいたいなら、素直に隣にいればいい。名称なんて、いらないんだ」
 友達だろうと恋人だろうと、ましてや、見てくれなくたって、よかったはずなんだから。
 変えたくないなら、変わらなくていい。勝手に、変わっていくんだから。
「僕はヒカリちゃんが好き。ただその気持ちだけ、伝えればよかったんだね」
 その思いをどう受け止めるかはヒカリちゃん次第だけど、落ち込む君じゃあない。
 僕が思うよりも強くて、大人になっている。変化は常にしてるんだ。
「ありがとう。おかげで、悩んでることが馬鹿らしくなってきた」
 僕は、笑いたくなった。
「いえ。お役に立てて嬉しいです。それに、僕だけの力ではないですし」
 笑顔で謙遜した言葉に、僕は不思議に思った。他の力って?
「大輔さんにも、あとでお礼を言ってくださいね」
 とても柔らかく、伊織君は言った。
 そういえば、伊織君に頼んでくれたのは大輔君だったっけ。
「もちろん言うよ。たぶん一番迷惑かけてたし、一番心配してくれただろうからね」

 *  *  *

 私たちは、ひとしきり泣いた。ファーストフードの店内で、なにやってるのかしらね。
 少し落ち着いた私たちは、恥ずかしくなって、外に出た。
「京さん。私、決めました」
 歩きながら、私は言ったの。京さんの笑顔が、見たくて。
 私が動くことで迷惑がかかると思っていた。タケルくんを、傷つけるかも、って。
 でも、私が伝えることで、誰かが、みんなが笑顔になるかもしれない。そんなこと、考えたこともなかったの。カップルは、周りを笑顔にするのにね。
 言われて、初めて気付いたの。この気持ちだけで、よかったってこと。人が人を好きになることは、とても幸せで尊いものだってこと、私は忘れていたのね。
「好きなことは好きって、ちゃんと言わなきゃ、ダメですよね」
 素直に、それだけでいい。
 友達だとしても恋人だとしても、ただ近くにいてほしい。その気持ちは、嘘じゃないから。
 変わってもいい。変わらなくてもいい。でも、伝えないと始まらないわ。
「私は、タケルくんが好きです。その気持ちがどういう意味だとしても、私は、伝えます」
 その思いをどう受け止めるかはタケルくん次第だけど、わがままはもう、言わないよ。
 でもきっと、タケルくんは、私の気持ちを、わかってくれる。そうだよね。
「ありがとうございます。おかげでもう、悩んだりしませんから」
 私は、もう逃げない。
「ヒカリちゃん・・・。ううん、私のおかげじゃないわよ。パニクってただけだし」
 京さんは謙遜しながら、涙を拭いた。私はいつも、京さんに力をもらってますよ。
「それに、お礼を言うなら、ちゃーんと告白してからにしてほしいかな♪なんてね」
「告白・・」
 はっきり言われて、ちょっとドキドキしてきた。
「よし!善は急げよ!」
 照れる私を見ながら、京さんはケータイを取り出した。

 *  *  *

「たけりゅ、電話だよ」
 リビングのドアが開き、パタモンが入ってきた。
「・・・ありがとう。さっきはごめん」
 パタモンが持ってきたケータイを受け取りながら、僕は謝った。アレは完全に八つ当たりだったな。
「いいよ、べつに」
 まだちょっと怒ってるようだけど、たぶん機嫌はすぐに直るだろう。
「あ、では、僕はこれで」
 伊織君はそう言うと、玄関に向かった。
「伊織君!今日は本当に、ありがとう」
 電話に出る直前、僕は素早く言った。
 伊織君は笑って、「頑張ってください」と、一言呟くように言って、帰っていった。
 見送る暇もなく、僕はケータイを見た。京さんからだ。・・珍しいな。
 それなら、伊織君いてもよかったかも、なんて思いながら電話に出たら、予想外の声が、返ってきた。
『あ、タケルくん?・・・ヒカリ、です』
「ひ、ヒカリちゃん・・?」
 思わず、驚きの声を上げてしまった。
 だって、君のことを考えていたから。
 でも、僕が君のことを考えなかった時なんて、忘れていた時なんて、なかったね。
 ヒカリちゃんが、用件を切り出した。僕に、謝りたいって。・・・なにを?
『去年言った、友達でいる約束、なかったことにしてほしいの。本当に、ごめんなさい』
 ヒカリちゃんは、一気に言った。溜めてたものをはき出すように、一気に。
 でも・・・・・それって、どういうこと?理解が追いつかなかった。
 友達でいることを約束出来ないってことだよね。友達ではなくなるってことだよね?
 じゃあ、友達じゃなくなるって、それって、僕の想像してることで合ってる?

 *  *  *

「ほら、ヒカリちゃん、深呼吸しないで勢いで!」
 無茶言わないで下さい!
 私の手には今、京さんのケータイがある。私はまだ持ってないからって、貸してくれたの。
 でも、どういうわけか、手渡された時にはもう、タケルくんのケータイに発信中だった。
「こういうのは勢いが大切なのよ!ヒカリちゃん、ファイト!」
 完全に、ハイになってる。いつもはとっても楽しいテンションなのに、こういう時は、ちょっと恨めしい。
 有り難いことなんだけど、でも、心の準備が・・・!
 だって、だって、ついさっきまで、泣くほど、自分の行動に後悔してたのに。
 だからこそ、今なら、タケルくんと一緒にいたいって強く思えるけど、でも、
『もしもし、タケルです。すみません、お待たせして』
 タケルくんの、声がした。
 出てほしくないって少し思ってたけど、声を聴いたら、やっぱり切れないわ。
 なんて言ったらいいのかわからなくて、少し戸惑ってしまうけれど。
 電話の向こうで、タケルくんも戸惑っていた。京さんだと思ってたんだから、当然よね。
「驚かせちゃってごめんね。今ちょっと、外にいて・・・」無意識のうちに、歩いてた。
 京さんは立ち止まったまま、こっちを見ている。私は気遣いに感謝しながら、前に進んだ。
「あの、タケルくんに、謝らなきゃいけないことがあるの」まずは、そこから言わせて。
「去年言った、友達でいる約束、なかったことにしてほしいの。本当に、ごめんなさい」
 どきどきした。照れとかじゃなくて、怖くて。タケルくんが、傷つくかもしれない。
 タケルくんは、黙ってた。驚いてるの?受け止めきれない?
 そうだよね。だって私、あの約束のせいで、タケルくんを縛り付けてしまったんだもの。
 君の気持ち、気付かないふりを、ずっとしてたの。本当に、ごめんなさい。

 *  *  *

「ヒカリちゃん、今、どこにいる?」
 やっと事態が飲み込めた僕は、まず、それを聞いた。
 会いたかった。会って、直接言いたかった。
『え?・・えっと、ペットショップの前、曲がったところ』よかった、すぐ近くだ。
「わかった。じゃあ、そこにいて。今すぐ行くから」
 言いながら、僕は家を出た。
 ヒカリちゃんが来るって言ってくれたけど、僕が行ったほうが早いから。
 会いたかった。ヒカリちゃんの真意がなんだろうと、伝えるなら、今しかないから。
 電話じゃない。メールでもない。直接、言いたいんだ。
 それに、謝るって言うなら、僕にも謝らせて。無責任に約束してごめんって。
 謝罪も感謝も好きって気持ちも、全部、早く会って、伝えたい。
 エレベーターを降りて、全速力で目指した。
 電話の向こうで、ヒカリちゃんも走っているみたいだった。
 僕らは互いに黙った。ただ、お互いを目指して、走った。
 不思議なもので、小さい頃、一緒に走り回ったことを思い出す。
 あの頃目指していたものは、遠い未来の、大人の自分。
 僕たちはいつから、未来をイメージするようになったんだろう。
 漠然と、ただずっと一緒にいられると信じていたあの頃。
 いつの間にか、どうしたら一緒にいられるのか、具体的に考えていたんだ。
 今やっと、その結果を言えるよ。
 道の向こうから、走ってくる姿が見えた。
 もうすぐ、その時だ。

 *  *  *
『ヒカリちゃん、今、どこにいる?』
 やっとタケルくんの声がしたと思ったら、意外なことを聞かれて、不意打ちを受けたみたいだった。
 思わず正直に答えちゃったけど、もしかして、来るつもりなのかな?・・・聞く前に、『今すぐ行くから』って、言ってくれちゃった。
「そんな、迷惑かけたの私なのに、私から行くよ!」
 私も、直接会って謝りたい。
 でも、タケルくんの言う通り、速さじゃタケルくんに敵わない。
 それでも、私だって待ってるだけなんて、嫌よ。
 私も、タケル君の家を目指して、走り出す。
 せっかく気付いたこの気持ち、やっと認められた、一緒にいたいって思い。
 変わらず、近くにいてほしいの。一緒に成長していきたいの。歩いていきたいの。
 走って、いきたいの。
 二人とも、黙っていた。ただ、お互いを目指して、走っていた。
 ふしぎと、小さいころ、一緒に走り回ったことが重なった。
 あのころから、私たちは笑いあって一緒にいたね。
 大きくなるにつれて、一緒にいることを照れるようになってしまったけれど。
 それでも、ただずっと、一緒にいたかったの。
 変わってしまうのが怖くて、離れてしまうのが怖くて、近づくことすらできなかった私。
 今やっと、近づく時が、来たのかもしれない。
 道の向こうから、走ってくる姿が見えた。
 もうすぐ、もうすぐね。

 *  *  *

 息を切らしたヒカリちゃんが、目の前にいる。
 全速力で来てくれた姿が、嬉しくて、嬉しくて、仕方がなかった。
「ヒカリちゃん」
 疲れているヒカリちゃんの肩に、そっと手を置いた。
 そのまま抱きしめたくなって、僕は笑顔になる。言うって、決めたから。
「ヒカリちゃん。僕は、ヒカリちゃんのこと、好きだよ」
 君が、驚く。嬉しそうで、少しだけ、悔しそうに。
 その顔だけで、返事には充分だった。
 僕はもう、抑えられなくて、ヒカリちゃんを、抱きしめた。
 あたたかくて、幸せで、とても、安心した。
 体全体が光に包まれているような、大きな、大きな、君の気持ち。
「私も、タケルくんのこと、大好きよ」
 腕の中で顔を上げて、ヒカリちゃんは言った。
 目と目が近くて、嬉しくて、泣きそうになるほど、幸せを感じられて。
 僕はまた、腕に力が入る。強く強く、でも、優しく、抱きしめた。
 誰にも渡さないよ。譲らないよ、この場所は。
 この光は、今は、僕だけのものだから。
 ずっと、僕が守っていく。大切な、大切な、僕の、ヒカリ。
 嬉しそうにしてくれるその顔を、何があっても、もう、壊させはしないからね。
 これからも、ずっと、ずっと、一緒だよ。
 距離が変わろうと、何があろうと、一緒にいることは、絶対に変わらない。

 *  *  *

 タケルくんが、目の前にいる。息が上がっていないのは、さすが運動部部長だね。
 私は、息を早く整えたかった。伝えたいことが、たくさんあるの。
「ヒカリちゃん」
 私の肩に、タケルくんがそっと手を置く。あたたかい。
 そしてその表情は、変わらない、私の大好きな笑顔。
「ヒカリちゃん。僕は、ヒカリちゃんのこと、好きだよ」

 時が、止まったかのように思えた。一瞬、わかっていたのに、何が起こったのかと思った。
 気付いた時には、タケルくんに、抱きしめられていた。
 あたたかくて、心地よくて、とっても、とっても、幸せな香り。
 心の底から希望が溢れてくるような、大好きな、気持ち。
「私も、タケルくんのこと、大好きよ」
 腕に包まれながら、私は顔を上げて、まっすぐ、そう言った。
 君の嬉しそうな顔を近くで見られて、泣きそうなくらい、私も嬉しくなる。
 そして思うの。また一つ強く抱きしめられながら。
 これほどまでに思ってくれてたのに、突き放すようなことを言って、本当にごめんなさい。
 これからもう、そんなこと、絶対にしないから。
 ずっと、私はそばにいるよ。大切な、大切な、タケルくんのそばに。
 嬉しそうにしてくれるその顔を、何があっても、もう、壊さないからね。
 これからも、ずっと、ずっと、一緒よ。
 距離が変わろうと、何があろうと、一緒にいることは、絶対に変わらない。

 *  *  *  *  *

 月日は流れてバレンタイン。今年も、僕が食べるのは一個だけ。
 でも、それは、今までとはまったく違う。
「はい、タケルくん」
 笑顔で渡されたそれは、ヒカリちゃんからの、
 本命チョコ。
 同じ手作りでも、今年からは、意味合いが違うんだ。
「ったく、嬉しそうだな」
 大輔君が、話しかけてきた。隣では、ブイモンがチョコを食べている。ただし、それは僕宛ではない。
「大輔君も、結構人気あったんだね」
 からかうように言ったけど、そこにはチョコの山。
「まーな。つってもまあ、ほとんどが『高校行っても頑張ってください!』っていう、ファンレターみたいなもんなんだけどな」
 残念そうに言ってるけど、嫌じゃないみたい。
 僕も今年は、そういうのが多かった。もっとも、ヒカリちゃんと付き合いだしてからは、告白はほぼゼロにまでなったんだけどね。
「タケルも少しはもらってるんだろ?今年もブイモン様への寄付、よろしくな」
「はいはい、いつも処理ご苦労様です」
 わざと嫌味っぽく、僕は言った。
 大輔君との会話っていつもこんなだから、あまり素直にお礼を言ったこともなかったな。
「あのさ、大輔君」
 たまには、きちんと感謝を言っておこう。
「なんだよ、急に改まって」
 正面に立った僕に、大輔君は気味悪そうに言った。
「・・って、ヒカリちゃんまで」
 僕の意図に気付いたのか、ヒカリちゃんも隣に来た。
「オレ、なんかした・・?」
 違う違う。これはただの、僕達の気持ちだよ。
 伝えなきゃいけない、大事な一言さ。

 *  *  *

 月日は流れてバレンタイン。今年も、私は京さんとチョコを作った。
 でも、今年からは、それぞれ本命へのチョコ一個だけ。
 義理チョコは、買ったものをあげる。でも、あげたくても、あげられない人が一人。
 大輔くんには、義理チョコよりも本命にチョコをあげろって、怒られちゃったから。
 それでもあげたいって思ったのは、京さんに本当のことを聞いてしまったから。
「あの日私がヒカリちゃんを誘ったのだって、大輔が賢君に相談してきてたからなのよ。私がそれを聞いて勝手に行動しただけなんだけど、でも、大輔ったら、ヒカリちゃんには、強く言いたくなかったのね。告白は男から、みたいな。
だから、伊織に頼んでまで、二人の後押しして。こじれさせた責任みたいなのも感じてたようだし、あれで結構、繊細な所あるわよね。・・・・・ってごめん!これ、秘密って言われてたの忘れてた」
 チョコを作り出してから、会話の流れで、京さんが語っていた、あの日の裏話。
 私の知らないところで、大輔くんが、伊織くんが、賢くんが、私たちのために、動いてくれていたこと。
 心から、感謝の気持ちでいっぱいになったわ。
 私は知らないふりをしているけど、それでも、みんなにお礼の気持ち、伝えたいの。
 タケルくんは、みんなが気遣ってくれてること、知ってるみたいだった。
 見ると、ちょうど、大輔くんに声をかけているところで。
 お礼を言うなら、私も、一緒に言わせて。
 タケルくんの隣に立って、大輔くんに向き合った。
 困惑する大輔くんに、タケルくんも私も、少し笑った。
 変わらないこと、変えてくれたこと、その全てに、言いたくて。


 「「ありがとう」」








5作目のコピー本。表紙の色すら忘れてしまいましたが、構成は気に入ってます。
本では、右ページにタケル、左ページにヒカリと分かれてました。
webだと読みづらさはどうでしょうかね…。再録集よりは読みやすいと思いますが…。
こういった同時進行別視点大好きでして。原点です。

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掲載日:2026/02/10