『約束』


 初詣に訪れた人、人、人。
 小さな子供など、気を抜けばすぐに家族と離れてしまうほど。
「…ママ?」
 ここにいる金髪の男の子もまた、例外でなく。
「…おにいちゃん?」
 いつの間にか人混みを離れ、境内の林を彷徨う始末。
「おにいちゃん…」
 数分前まで繋いでいた手を握りしめ、涙をぽろぽろ、小さな足で歩いている。
 こういうときは、下手に歩くよりもじっとしていた方が良い。
 そうと知ってはいながら、弱々しくも足は踏み出ていく。
「……」
 ふと、男の子の足が止まる。
 目の前の道が分かれている。
 1つは広く、真っ直ぐ延びた道。
 1つは狭く、崖へと延びた坂道。

 さて、どちらにしますか?

「あの上からなら、見えるかな…」
 数秒後、男の子の足は、坂道を上っていた。
 さほどキツくもないけれど、小学1年生には、辛い道のり。
 それでもこの子は登っていく。見つけたい、見つけてもらいたい、その一心で。
 坂道を登り終えると、そこは小高い丘の上。
 下と変わらず木々が立ち並び、しかしどこか神秘的な空気が漂っている。
 男の子はその空気を感じながらも、前に進んだ。
 歪んだ道を進んでいくと、木の柵が見えてきた。
 柵の向こうは崖。大人から見ればそこまで高くもないが、子供の彼には、とても高いこの場所。
 少し恐怖を感じつつ、男の子は柵に近づいた。
 見下ろすと、先程歩いた道が一望できた。
「…ここでまってれば、おにいちゃんがきたら、すぐにわかるよね」
 誰もいない中、自分に言い聞かせるようにそう言うと、涙をこぼしながら男の子はしゃがみ込む。
 地面が濡れていく。
 男の子の目の下だけでなく。
「あ…」
 小さな声を出しながら、男の子は上を向いた。
「雨…」
 降り注ぐ、冷たい冬の雨。
「どうしよう…。かさ、もってないのに」
 そうこうしているうちに、雨はどんどん降ってくる。
「さむいよ…おにいちゃん…ママ…」
 助けを呼んでも誰も見えなくて。
 下の道、周りの木々を、せわしなく見回す。
「あれ…なんだろう…?」
 男の子の目に留まったのは、小さな小さな屋根。
 迷わず、男の子は駆け出した。
 木々の間、細い道のような抉れた地面を、跳ねる泥水を気にもせず。
 屋根が近づくと、男の子にもその正体がわかった。
 前にテレビで見たことがある。小さな祠だ。
 それでも大きさは男の子よりも高く、中に入れるような扉がある。
 ただ、今はその扉が開いていた。
 祠の前まで行ったとき、開いている理由が、男の子の目に飛び込んできた。
 中に、着物の女の子が1人、座っていた。
「……」
「……」
 覗き込んだ男の子に驚いたのか、女の子は何も言わずに見つめ合う。
 女の子も濡れていて、雨宿りに来た様子。
 その目も濡れているが、それは雨ではない気が、男の子はした。
「…入る?」
 雨音しかしない静かな空間で、女の子の声が響いた。
「いいの?」
 祠の中は、2人入るには少し狭い。
「うん。だって、ぬれちゃうでしょ?」
 カゼ、ひいちゃうよ、と女の子は言って、男の子が入れるように、少し体を壁に寄せた。
「ありがとう」
 お礼を言うと男の子は、女の子の隣に腰を落とす。
「あったかいね」
 くっついている所為もあってか、見た目よりも中はあたたかかった。
「そうだね」
 女の子は微笑んだ。
「…キミも、はつもうで?」
 静かな雨宿りの中、男の子は話しかける。
「うん。…あ、あたしヒカリ」
 頷いたあと、『キミ』という呼ばれ方が気になったのか、女の子は『ヒカリ』と名乗った。
「ぼくはタケル。よろしくね」
 男の子も名乗ると、笑顔で言った。
 雨はしとしとと降り続ける。
「ヒカリちゃんは、もうおねがいしたの?」
「うん。タケルくんは?」
「ぼくは、まだなんだ」
 ポケットには、入ったままの5円玉。願い事は、とっくに決まっているというのに。
「そうなんだ〜。早くおねがいできるといいね」
 その為には、まず家族と会わないといけないのだけれど。
 一体、いつ会えるのだろうか。
「…うん。そうだね」
 力無い返事を返して、タケルは雨を見つめる。
 止んだら外に出よう。
 またあの崖から見下ろして、迎えが来るのを待っていたい。
「くらいね」
 雨降る林の、屋根の下。決して明るいわけもなく。
「そういえばここ、なにもないね」
 不安から話を続けたいヒカリの声に、涙を擦って、タケルは返す。
「かみさまのいえなのにね」
「おひっこししちゃったのかな?」
「かぎもかかってなかったよ」
 可愛い会話と新たな疑問。答えは出ずとも、2人で知恵を絞って考える。
「おにいちゃんにきけば、わかるかな」
 しばらくして、ヒカリがポツリと言った。
「え?ヒカリちゃんもおにいちゃんいるの?」
「うん。もしかして、タケルくんも?」
「うん」
 2人とも妙に驚いて、顔を見合わせて目をぱちくりさせた。
 そして、少し悲しい顔。
「…ヒカリのこと、さがしてるかな」
 ぽろぽろと、ヒカリの瞳から涙がこぼれ落ちて。
 触れている指先が震えて、タケルもどうして良いのかわからなくなる。
「だいじょうぶだよ。きっと、見つけてくれるから」
 そうは言いながらも、涙が溢れそうになる。
 泣いちゃダメな気がする。なのに。
「うん…ありがとう」
 赤い顔で涙目でしゃくり上げて。不安そうなヒカリ。
 自分そのものの姿に、逆にしっかりしなければと、タケルは言い聞かせる。
「ねえ、ヒカリちゃ…ん?」
 目を瞑ったヒカリは、呼吸が少し荒い。
「ヒカリちゃん?」
 呼びかけると、何かを呟いた。
「なに?」
 耳を近づけて聞こうとすると、今度ははっきりと届いた。
「しんぱい…しないで…いいよ」
 どう考えても、誰が聞いても、心配した方が当然な台詞。
「どうしたの?だいじょうぶ?」
 心配するなと言われても、口から出るのは案じる言葉ばかり。
 辛そうな表情を見ても、1人ではどうすることもできない。
「おにい…ちゃん」
 ヒカリの口からは、また兄を呼ぶ声。
 何もないこの状況で、ヒカリが欲しがっているのは、『お兄ちゃん』
 それなら、連れてきてあげたい。
 そう思いつつも、目の前には雨のカーテンが。
「ぼく…どうしよう…」
 こんなとき、おにいちゃんならどうするだろう?
 触れている手は熱があって。
 触れている着物は冷たくて。
 少しでも早く、ここから出してあげたいのに。
『お兄ちゃん』の元に、連れて行ってあげたいのに。
「ごめんね、ヒカリちゃん。ぼくがもっと大きかったら、ヒカリちゃんのことつれていけるのに…」
 座っているからわからないけれど、おそらくタケルの方が背は低いだろう。
 おぶって連れて行くなんてこと、出来るはずもなくて。
 出来ないことがわかると、また1つ。
 涙が、零れてくる。
 ポタッと、涙が祠の床に落ちた。
「……!!?」
 すると、突然、祠の中が光に満ちた。
「え…?なに…??」
 明かりの源は、ヒカリ。
「ヒカリちゃん?」
 呟いた言葉は、光り輝く空間へと消えていく。
「うわっ」
 眩しさに耐えきれずタケルは目を瞑った。
 数秒後、明かりは急に暗闇へと帰り、2人は後ろから何かに突き飛ばされた。

「いたっ」
 タケルが目を開けると、そこは晴れた林の中。
 地面は乾き、気のせいか前よりも綺麗になっている。
「あれ…?」
 そして、振り返るとそこには、
「しまってる」
 祠の扉は閉まり、鍵がかけられていた。
 立ち上がって近づこうとしたとき、ヒカリの姿が目に入った。
「ヒカリちゃん!だいじょうぶ?」
 横たわるヒカリに向かって叫び、駆け寄る。
「ヒカリちゃん?ヒカリちゃんってば!」
 返事はなく、熱に浮かされ息が荒い。
「君たち!」
 タケルの後ろから、心配そうな声が聞こえた。
「大丈夫?」
 目をやると、金髪のお兄さんと、綺麗なお姉さんがこちらに小走りで向かってきていた。
 タケルは、なんだか父に会うような奇妙な感覚に襲われた。
 しかし、今は。
「ヒカリちゃん!ヒカリちゃんをたすけて!」
 一瞬、お姉さんが妙な表情をしたが、すぐに心配そうな顔に変わった。
「わかった」
 お兄さんは一言そう言うとヒカリを抱え、元来た道を急いでいった。
「タケルくんも」
 お姉さんもタケルに一声掛けると、すぐにあとを追いだした。
「うん!」
 なぜ自分の名前を知っているのかと疑問にも思わず、タケルも走り出した。

 少しして、その道は広い道に出た。
「あ…ここ…」
 タケルは、少し速度を落とした。
 広い道には、1件の小さなお店が建っている。
 その他には、木の柵が。柵の向こうには、下の道が見下ろせる崖が。
「すみません…!」
 店の中から、お兄さんの声がした。
 タケルの気持ちから疑問は掻き消され、店内へと入った。
 お兄さんが、店員さんに事情を説明しているらしい。
 すぐに、店内の職員専用の部屋に通された。
 お姉さんが座布団を並べ、そこにヒカリを寝かせた。
「大丈夫よ」
 心配そうなタケルに、お姉さんはそっと囁くと、看病の用意をしに行った。
「ぼく、なにかできることないのかな…」
 寝ているヒカリを見て、タケルは呟く。
「あるよ」
 お兄さんが、タケルの隣に座った。
「ほんとに?」
 すぐさまタケルは聞いた。少しの希望に飛びつくように。
「ここでこうやって手を握って、側にいてあげて」
 タケルの手をヒカリの手に重ねて、お兄さんは笑顔で、どこか懐かしそうに言った。
「…それだけ?」
 不満そうなタケル。
「うん。それだけ」
 悩むことなく、即答でそうだと言う、お兄さん。
「できるよね?」
「…うん」
 からかうような言葉に頷き、ヒカリの手を握る。
 熱いくらいの体温を感じながら、これしかできない自分に、タケルは少し苛立った。
「大事なことなんだよ」
 隣で、お兄さんはそう言った。
「でも、ぼく…」
「誰にでも出来ることじゃ、ないよ」
 反論したいタケルを遮って、お兄さんは続ける。
「誰かがそこにいてくれるって、すごく大きなことなんだ」
 少し、お兄さんの表情が変わっていく。ただ、タケルはその様子をどう言って良いのか、わからない。
「誰でも良いんじゃない。大切な人が、そばにいてくれること」
 その気持ちは、タケルにもよくわかった。
「わかるよね?」
「うん。でも、ぼく…」
 今度は、お兄さんは遮らない。
「もっと、ヒカリちゃんのためにいろいろしてあげたい。もちろん、これがたいせつなのはわかるよ。でも…」
 兄の姿が目に浮かぶ。
 ヒカリも自分も、常に思い描き助け求める存在が。
「そのうち、出来るようになるよ」
 ぽんっと、お兄さんに頭を撫でられた。
「そのうちって、いつ?」
 焦りと可愛らしさとが混ざり合った、意地悪な質問。
「うーん……」
 お兄さんは、少し間を空けた。
 考え込んでるとは言い難い、爽やかな表情のまま。
「…君、今いくつ?」
 やっと出た答えは、質問だった。
「7さい」
 答えじゃないよ、と思いつつ、タケルは答える。
「じゃあ、もうすぐ」
 さらりと、答えを言った。
「すぐって?」
「今年の夏、色々なことが起きて、少しだけ、お兄ちゃんに近づけるよ」
「ことしの…なつ…?」
 お兄さんの、不思議な言葉。
 兄がいることも知っていて、タケルにはこの人がなんでも知っているヒーローのように見えた。
「うん。その他にもね、4年くらいしたら、もっともっと、色んな事が起きて、色んな事が出来るようになるんだ」
「4年…。おにいちゃんよりも大きくなったら?」
「あー…そうなるのか。うん、そうだね」
 なんとも奇妙な、ちぐはぐな会話を交わしながらも、何か確かなことが起きていた。
 ガラリと戸が開き、洗面器とタオルを持ったお姉さんが戻ってきた。
 手際よく看病をするお姉さんを見て、自分もいつかそう出来るようになるのか、とタケルは思った。
「…でも、どんなに大きくなっても、色んな事が出来るようになっても、そこに終わりはないんだよ」
「そうなの?」
 話を続けるお兄さんに、タケルは興味を示した。
「うん。今の僕にも出来ないことは沢山あるし、君の方が出来ることがあるかも知れない」
 妙に信頼出来るお兄さんの言葉は、タケルには少し信じられないもので。
「だからね、大切なことは忘れちゃいけないんだ。思い出と一緒に、忘れちゃいけない」
「うん…わかった」
「ほんとに?」
「うん。やくそくする」
 どこか寂しそうな目をしたお兄さんに、タケルは小指を出した。
「それじゃ、約束」
 大きな手と小さな手。それでもしっかりと、結ばれた。

「ん…」
 ヒカリが、目を覚ました。
「ヒカリちゃん!」
「…タケルくん…?ここは…?」
 周りを見ながら、少しボーっとした様子のヒカリだったが、お姉さんと目が合うと、急に体を起こした。
「だいじょうぶ?まだ、ねてないと…」
「そうよ。無理はよくないわ」
 お姉さんが、なだめるようにヒカリを寝かせようとした。
「でも…」
「今はゆっくり休んで。もう少し大きくなったら、大丈夫だから」
 タケルにはなんだか変に感じたが、お姉さんの言葉に、ヒカリはまた体を横にした。
「ごめんね、タケルくん」
 ヒカリは、タケルの手を握り返しながら、謝った。
「どうして、ヒカリちゃんがあやまるの?」
 素で理解が出来ず、それでもヒカリの手をしっかりと握り、タケルは聞いた。
「だって、ヒカリのせいでタケルくんにめいわくかけちゃったから」
 言いながら、ヒカリはお兄さんの方を見た。
 そして、またタケルへと視線を戻す。
「そんなことない。ぼく、おかげでおにいさんといろんなことはなせたし、ぜんぜんめいわくなんかじゃないよ」
 にっこりと、笑顔でタケルはそう言った。
「…ありがとう。タケルくん」
「なおったら、いっしょにあそぼうね」
「うんっ」
 ヒカリは、タケルに負けず劣らず笑顔で頷き、そして、瞳から、涙がこぼれた。
 瞬間、また、ヒカリの体が明るく輝きだした。
「ヒカリちゃん?」
 タケルは驚いて呼びかけたが、ヒカリは笑顔のまま。
 お兄さんも、お姉さんも。
 そして、タケルもつられて、笑顔になった。
 部屋が光に包まれるとき、お兄さんの口が、「約束だよ」と、動いた気がした。

 数秒後、明かりは消え、2人は目を開けた。
 背中には、あの祠が。
 扉は閉まり、鍵が掛かっている。
 地面は少し濡れていて、空からは雪が降ってくる。
 そして、隣にはお互いが笑顔で座っている。
「…ヒカリちゃん、だいじょうぶ?」
「うん。もう、だいじょうぶだよ」
「そっか。よかった」
 静かな林の中。繋いだ手。
 ふしぎな、ふしぎな、出来事。
「もう、いかないと」
 ヒカリは立ち上がる。
「おにいちゃんがよんでる」
 タケルの耳には何も聞こえなかったが、頷き立ち上がった。
「ぼくも、おにいちゃんさがさないと」
「だいじょうぶ。タケルくんのおにいちゃんも、すぐそこまできてるよ」
 そう言うとヒカリは、タケルが元来た道を指さした。
 タケルは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「わかった。ありがとう」
 そして、繋いだ手を1度解き、握手のために右手を差し出した。
「またね。タケルくん」
 ヒカリはその手を取り、ぎゅっと握って、そう言った。
「うん。じゃあね。ヒカリちゃん」
 2人は笑顔のまま手を離すと、お互い反対の方向へと歩き出した。

 木々の間、細い道のような抉れた地面を、不安と寂しさと共に、一歩一歩踏みしめていく。
 やがて、木の柵が見えてきた。柵の向こうには、下の道が見下ろせる崖が。
 すぐに近づいて、見下ろした。
 金色の髪の毛が、走っている。
 小さく声が聞こえ、タケルの目から、少し涙がこぼれ落ちる。
 でも、今は、それでいいことにしよう。
 嬉しいときは泣いて、悲しいときも泣いて。
 不思議なことも普通のことも、全部忘れないで。
 大きくなっていこう。
 いつかのために。
 大きく、成長するために。・・・進化するために。
 そしてそれを、

「やくそくだよ」

       終わらせないために。








4冊目のコピー本。クリーム色っぽい紙だったような気がする…。本編も表紙もこだわり無くシンプルな本だったかと。
それまでの3冊に比べて短編で、時間が無かったんだったかなあ。
本編は空気感くらいしか覚えてないですが、珍しく幼少期ですね。いつの時代のタケヒカも大好きです。

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掲載日:2026/02/10