桜の木が立ち並ぶ広場。
 風が吹き、無数の花びらが宙に舞う。
 楽しそうな声が聞こえる中、1人ため息をつく少女がいた。

『桜が散るように』

「はぁ…」
 花見にやってきて早2時間。
 広場にいる、花よりサッカーな02年の仲間達を見ながら、ヒカリは荷物番をしていた。
 水筒の飲み物を飲んで、桜の木に寄りかかる。
 賑やかな声が聞こえながらも、目を瞑ればうとうとと眠くなる春の陽気。
 その時、ガサガサと荷物を探る音がし、反射的に目を開けると、京が休憩に来ていた。
「京さん…」
「あっはは。驚かせちゃった?」
「ううん、荷物番なのに目を瞑ってた私が悪いの」
 京はヒカリの隣に座ると、伸びをしながらジュースを飲んだ。
「か〜〜!!やっぱ運動の後にはこれですなあ」
「京さんったら」
 小学生の時と変わらないんだから、とヒカリは思った。
 もちろん見た目は大人っぽくなっているが、中身は変わらない所もある。この2人の関係も、年の差もなく何年経っても仲が良いことに変わりはないだろう。
 しかし、不安はある。
「(今日が終わらなければいいのに…)」
 高校1年生の春休み現在。
 皆がバラバラの学校に進学して1年が経ち、予定の合わなさに忙しさを実感した。この花見が終われば、もうみんなで集まる機会は、記念日を除くと無きに等しい。
 それでも、このまま変わらないでいられるのだろうか…。

『大丈夫。今までだって変わらなかったんだから、これからも変わらないよ』
「タケルくん…?」
 急に、タケルの声が聞こえた気がして、ヒカリは不思議に思った。
 タケルは今、広場でみんなとのサッカーに参加している。
「おやおや、お熱いですなあ」
 ヒカリの呟きを聞いて、京は茶化すように言った。
「え?」
「またまたぁ。とぼけちゃって」
 京は、ヒカリとタケルがまだ恋人未満状態なのを知ってい、今日が最後の機会とばかりに応援を決め込んでいた。
「今でも好きなんでしょ?タケルくんのこと」
「いえ、友達です…あ」
「……」
 何回この手のからかいを受けたことか、反射的に「友達です」回答をする事に慣れてしまったらしい。

「ヒカリちゃん。私の前では、そんな嘘つかないでね」
「…はい。ありがとうございます」
 雰囲気が、小学生から高校生へと変わった。
 思えば、たった4年なのに、学生時代というのは成長著しいものだ。
「で、好きなんでしょ?タケルくんのこと」
 繰り返される質問に、今度こそ、本音を言った。
「……たぶん、そうです」
「『たぶん』って」
 感受性強く、他人の心には敏感なくせに、自分の気持ちはいまいちわからないらしい。京はそんなヒカリを見てきたが、今回はいつにも増して深刻だと思った。
「わからないんです。この気持ちが」
 小さい頃から、なんとなく兄妹みたいで。
 近すぎて、近すぎて。
「好きか嫌いかだったら、迷うことなく好きなのに」
 でも、それが恋愛の一部なのか、それとも違う、特別な何かなのか。
「うーん、そっかー…」
 ヒカリ自身は照れもせず言ってるのに、聞いてる京の方が照れてしまう。
「京さんは、恋愛って何だと思いますか?」
 高校に入ってから、恋バナも格段に変わった。
 何ヶ月もったとか、3日で別れたとか。
 別れたと思ったらもう新しい相手にぞっこん、なんて話も聞く。
「そうねー。うーん……」
 何を考えているのか、徐々に京の顔が赤くなる。
 そうやって素直に出来る京が、ヒカリにとっては羨ましかった。
「ややややっぱ、相手にドキドキしたり、かな!?」
 急に慌てだし、若干パニックになりながら、京は答えた。
 思い出すだけで、こんなにも取り乱すとは。
「(京さんだからってのもあるかも知れないけど…)」
 クラスの人も、彼氏からメールが来るだけですごく喜んでいたっけ。
「私…タケルくんにドキドキって、したことないんですよね」
 京の顔から赤みが消えた。
「確かに、背も伸びだし、格好良くなったとは思うけど、でも…」
 毎日見てると、意外と気付かないその成長。
「タケルくんは、タケルくんだから」
 外見がどう変わろうと、中身の奥底は、ずっとずっと変わらないまま…。
「…ちょっと、羨ましいな」
「え?」
「だって、そうやって落ち着いて相手のこと見てられるのって、なかなか出来ないじゃない」
 面食いで有名(?)な京の言葉だけに、ヒカリは驚いた。
「なんてね。『見た目じゃなくて中身を見なさい』ってお姉ちゃんに言われちゃって」
 高校生にはそうそう出来る相談ではないかも知れないが、理想型ではある。
「(…あれ?)」
 しかし、考えてみればヒカリには腑に落ちないことが1つ。
「でも京さん。私、ドキドキもしませんし、これが恋だと決まったわけじゃ…」
 京の話だと、ヒカリのタケルへの気持ちは、大人の恋愛の理想なわけで。
「んー…でもほら、恋愛って色々あるって言うし!」
 ヒカリはまだ納得いかないようだが、何年も親友として見てきた京からすれば、願望にも似た思いである。
「色々、ですか…」
 ヒカリがまたタケルへと視線を戻したとき、広場から伊織がやってきた。
「そうだ、伊織ー」
「何ですか?京さん」
 水筒を出しながら、ここ数年で最も成長した伊織は返事をする。
「伊織は、恋愛って何だと思う?」
 ど直球+唐突な質問に、伊織は一瞬固まったが、すぐに「いつものこと」とでも言うような顔に戻った。
「…まだまだ僕なんかが言うには難しい質問ですが…」
 そう前置きを言うと、お茶を注ぎながら、言葉を選んだ。
「一言で言うと、相手への関心ですね」
「『関心』…」
「ふーん」
 ちょっと意外、という表情で、京は続きを促した。
「関心があれば、自然と労りや優しい気持ちで接することが出来るんじゃないでしょうか」
 相変わらず、中学生とは思えない誠実な対応・関係を望む人だ。
「相手への興味、知りたいと思う心が尽きないことが、人間関係をより楽しむ秘訣じゃないでしょうか」
 見た目より中身を重視する、思春期には珍しきタイプが、ここにもいた。
 そして、どうやら年が経つに連れ知識の面に磨きが掛かっているようで、京は少し光子郎の影を見た。
「でも伊織。私が聞いたのは恋愛面で、人間関係じゃなくて」
「僕は、恋愛も人間関係の延長だと考えてますが…」
 一理、ある。
「むむむ…」
 言葉を無くした京とは反対に、ヒカリは1つ質問をした。
「伊織くんは、相手にドキドキしたり、する?」
 冷静だった伊織の顔が、少し赤みを帯びた。
「…そ、それはまあ、人間ですから…」
 多少どもってはいたが、お前は一体幾つだ、と言う質問を誰もがしたくなる言葉を残し、伊織はまた大輔達の元に戻っていった。

「うーん。もうちっと柔らかく育たなかったのかなあ」
 京は伊織の後ろ姿を母親目線で見ながら言った。
「そういう未来も、あったかも知れませんね」
 冗談半分の京とは違い、ヒカリは地面を見ながら、寂しそうな言い方だった。
「……」
 京はそんな言い方から気持ちを察したのか、黙ってヒカリを見た。
「(ヒカリちゃん、タケルくんと付き合ってた未来もあるかもって、思ってるのかな…)」
 賑やかな声は相変わらず聞こえるのに、この桜の木の下だけ、とても静かに感じられた。
 あの頃から見た未来である、現在。小さな頃は、様々な可能性があった、未来。
「でも私、これでよかったな、って思います」
 少しして、顔を上げながらヒカリは言った。
「これからの未来、変わることも絶対にあるし、変わっていくと思います」
 わかったような言い方で、わかっているからこそ、悲しそうに。
「そうよ!だからこそ、当たって砕けろ精神で、突っ走りましょう!」
 落ち込んだヒカリを立ち上がらせるように、京は元気よく言った。
「え、えぇ!?でも、私タケルくんに関心とかもないし…」
「ほんとに?」
 あれだけ仲が良いのに、無関心なんて事があるわけもない。
「だって、今更興味持つような所もないし…」
 謎はあっさり解けた。
「それって、知らない所がないって事じゃない?」
「…そうですね」
 さらっと答えたヒカリの顔には、当たり前と書いてあった。
「要するに、全て知ってるからこそ『知りたい』と思わないし、知らない面を見てドキドキすることもないと」
 纏めてみると、最早兄妹どころか、
「なんか、熟年夫婦みたいね」
 …高校1年生がそれなのは、羨ましいような、寂しいような。
「ふ、夫婦ですか…」
 聞き慣れたからかい言葉の1つにあったものの、京に言われるとまた違う。
「そう。それも倦怠期の」
 相手に興味が無くて、鬱陶しくなってくる時期。
「別に煩わしかったりしないですけ」
「こういう時期が大事なのよ!一気に駄目になるか、持ち直してラブラブになるか!」
「あの、ですから」
「最後のチャンスは今日しかない!ほらヒカリちゃん、 ファイト!」
 ヒカリの言葉に聞く耳持たず。応援する方が燃え上がっていた。
「京さん、落ち着いて…」
「ヒカリちゃんは、もっとテンション上げなくっちゃ!!」
 ヒートアップは止まらず。ただ、ヒカリにとってラッキーだったのが、タケルがまだ大輔達に付き合わされていたことだった。
「あ、タケルくんまだ大輔くん達とサッカー終わってないので、今からテンション上げなくても…」
「んー!?…そうねー、仕方ないか」
 一瞬、それがどうした!と眼鏡を光らせ今にも広場に突進していきそうだった京だが、少し落ち着いたのか、若干クールダウンした。
「よし、じゃあ『いざこれから!』って時にテンション上がるように準備しなくっちゃね!」
 ホッとしたのも束の間。さっきの言葉で、うっかり「後で告白する」と約束してしまったも同然だった。
「告白のシチュエーションが桜の吹雪く中…キャーロマンチックー♪♪」
 ドラマでも見てるような京の態度に、ヒカリはそれこそ鬱陶しいような、でも、頼りになるような気持ちだった。
「(やっぱり私…)」
 こうやって盛り上がってることが、正直楽しかった。
 嫌じゃないって事は、きっと…。
「あ、ヒカリちゃん。サッカー休憩入ったみたいよ」
「え?」
 京に言われて広場を見ると、みんなが水筒を求めてこちらにやってきていた。
 もちろん、タケルも含めて。
「どうやって1人だけ呼び出そうかしらね〜」
 色々と考えを巡らせる京を余所に、ヒカリは固まっていた。
「(なんだろ…この気持ち)」
 タケルの姿から視線を逸らしたくて仕方がないのに、目が離せない。
 今まで、見つめられて見つめ返して、ということはしてきたが、今回は違う。
 向かってこないでほしい、遠ざかってほしい。
 心臓がドクンドクンいって、呼吸がおかしくなる。
 これが、告白前の心境なのだろうか。
「(違う…)」
 症状的には同じなのに、漫画や小説で読んだのとは、想像とは、違う。
 それに…。
「(前にも、どこかで…)」
 どこかで感じたことのある気持ち。
「(やめて…)」
 寒くもないのに、体が震え、同時に今の状態の答えが見つかった。
 しかし、ヒカリはそれを認めたくなかった。
「ヒカリちゃん?」
 京の声は届かず。タケルの姿は近づいてくる。
「(どうして…)」
 しっかりしろ、告白するんだ、と思えば思うほど、平静が保てない。
 今にも涙が出て叫びたいような、かき乱される心。
 タケル以外の全てが黒くに染まり、ヒカリの視界から消えていく。
 そして、気持ちがタケルのみに集中し、言おうと決心したその時、
『やめて、ヒカリちゃん』
 口の動きに反し、タケルの声が頭に響いた。
 ヒカリは弾けるように立ち上がると、周りの声も聞かず、走り出した。
 そして、混乱する心の中、先程の答えを、認めた。
 この感情は、恐怖だと。

「はぁ…はぁ…」
 しばらくして、ヒカリは足を止めた。
 周りに人影はなく、遠くから声が聞こえるのみ。
 タケルの声も姿も見えず、ヒカリの体から震えは消えていた。
 しかし、だからといってすぐに戻る気にはなれず、ヒカリは近くの桜の下に腰を下ろした。
「ふぅ…」
 深呼吸し、今一度冷静に考える。
 何から恐怖し、何から逃げてきたのかを。
「(『タケルくん』…)」
 その名を想い、姿を浮かべる。
 小さな小さな可愛い頃から、大きく逞しく成長した今まで。
 ずっと近くにいて、見てきたその姿。
 大好きで、親友で、仲間で。
 ずっと変わらない絆の人。
「…っ」
 考え込んでいたヒカリが、一瞬ビクッとなった。
 手に何か触れたかと思えば、桜の花びらが大量に舞い降りてきていた。
 見上げれば、それはまさしく花びらシャワー。
 風向きがよかったのか、ヒカリに桜が降り注ぐ。
「綺麗…」
 それはとても、切なく儚く美しかった。
 寂しく散ってゆくものなのに、どこか潔く格好良い。
 ヒカリは、逃げてきた自分が、情けなく虚しく思えた。
「私…何してるんだろう…」
 1人で勝手に飛び出してきて、心配かけているかも知れない。
 小さな頃から、成長してない。
 守られて、助けられて、心配かけて。
 過ぎ去りし日の、暗い思い出が頭を巡る。
 忘れてしまいたいくらいの、思い達が。
「ううん…忘れたく、ない…」
 しかし、思い出せないことも多い。
「忘れたく、ないよ…」
 小学生の日常が。
 中学生の日常が。
 一体、誰と何を話して楽しんでいたっけ?
 写真は沢山あっても、声までは聞けない。
 行事の映像は残っていても、普段は何をしていたの?
「…私、何を思ってたのかな…」
 高校生になり、早1年。
 新たな友達、新たな場所。
 それももう、今の、いつもの居場所。
 想いはあっさりと、時の流れに変わっていく。
 そしてたまに、懐かしさから逃れられない。
「また、忘れちゃうんだろうな…」
 記憶力が良い方だとよく言われるヒカリですら、小さな事は忘れてしまう。
 他の人達なら、きっと、桜が散るように、一瞬で。
 忘れられたくないんじゃない。自分が覚えていたいんじゃない。
 ただ言えるのは、何かが変わってしまうコト。
 何かを、変えてしまうコト。

「ヒカリちゃん」
 声のした方を向くと、そこにタケルがいた。
「大丈夫?」
 何かあったのかと理由を訊く前に、タケルはまず顔色を見て不安に思った。
「…」
 先程までタケルを見ただけで恐怖に捕らわれていたのに、不思議とヒカリの心は落ち着いていた。
「隣、座るね」
 ヒカリが頷くのも待たず、タケルは腰を下ろした。
 そして、何も言わず、桜に寄りかかり休憩しているようだった。
「あ、そうだ。京さんから伝言」
 数分しか経ってないのに忘れそうだった、と苦笑いしながら、
「『ごめんね』だって」
 何も知らないタケルは、ヒカリにそう伝えた。
「京さん…」
 たった一言だったが、何に対してなのかヒカリにはわかった。
 勝手に盛り上がって、ごめんなさい、と。
 それとおそらくは、タケルがヒカリを追いかけてきたことに。
 止めた方が良かったかも知れない、と京は思ったのだろう。
 しかし、心配して来てくれた、と疑いもせず喜んだヒカリは、京に感謝していた。
「私の方こそ、謝らないと…」
 色々自分を思ってしてくれたのに、結局迷惑かけてしまった。
「ありがとう。タケルくん」
 伝えてくれて…とヒカリが瞳を通じて言おうとしたとき、タケルの目に違和感を感じた。
 普段なら、すぐに笑顔になって、お礼の言葉を拒否するはずなのに、それもしなかった。
「…タケルくん…?」
「さっき、伊織君にさ」
 タケルは、ヒカリから目を逸らし、宙を見ながら言った。
「『タケルさんにとっての恋愛って、何ですか?』って、訊かれたんだ」
「……なんて、答えたの?」
 ヒカリは、とても興味を引かれた。
 まだ自分の中に、タケルへの興味が芽生えることに、若干驚きを覚えながら。
「それが、答える前にサッカー始まっちゃって。でも、僕キーパーやってたし、ほとんど出る幕無かったから、本当はいけないんだけど、少し、考えてた」
 試合中に別のことを考えるなど、運動部部長をしていたこともあるタケルとしては、かなり後ろめたかったようだが、つまりはそれほどまでに難しく、答えを出したい問題だということだった。
「で、一応答えが出た」
「…なに?」
 聞きたいような、わかってるような。
「『守りたいもの』」
 風が吹き、桜が降ってくる。
 しかし、今度は切なくも儚くも感じなかった。
「ずっと、失いたくなくて、ずっと、自分の手で守っていきたい」
 タケルは、自分の手を挙げ、様々な思いを巡らせながら、見上げた。
 ヒカリも見慣れている、その手。とても大きくなった。
 でも、ヒカリの中では、その逞しさ、頼りになる手は、小さな頃と変わらない。
「高校入ってから」
 タケルは手を下ろすと、話を続けた。
「告白されたり、彼女いるのか訊かれたり、中学と変わらないんだけど、何かがすっごく、違ったんだ」
 相変わらず人気があることにヒカリは、嫉妬心もなく、むしろ変わらないことが嬉しく、当たり前なことが誇らしかった。
「私も…違った」
 ヒカリも、同じ体験をしていた。
「告白されたり、彼氏いるの?って訊かれたり。…でも、からかわれることが、無いんだよね」
 タケルは頷くと、ヒカリちゃんもそうだったんだ、と笑った。こちらも嫉妬心はゼロらしい。
「やっぱり、守りたいって思うのは、ヒカリちゃんだけなんだよね」
「私も。一緒にいて落ち着く男の子は、タケルくんだけだよ」
 見つめ合いながら言う言葉。捉えようによっては告白であり、端から見ればほのぼのとした恋人同士である。
 昔から変わらない空気に包まれ、ヒカリは自然と笑顔になっていく。
 しかし、タケルは笑顔をやめ、真剣な表情に変わり、ヒカリに言った。
「ヒカリちゃん。はっきり言うね。僕と付き合って下さい」
 いい加減に、はっきりさせなければならない。
 タケルの強い決意が、空気を変え、ヒカリの表情もまた、驚きへと変わった。
 数秒間、そのままどちらも動かなかった。
 時間の感覚など無く、風が吹くのも感じない。
 ヒカリは、返答に躊躇していた。
 自分の気持ちもわからないのに、答えてよいのだろうかと。
 自分にとっての『恋愛』がどのようなものなのか、答えが見つかっていないというのに。
 その気持ちは、タケルもわかっていた。
 瞳を逸らさずにいた為、何の障害物も無しに、直接気持ちが伝わる。
 2人がこの数年間培ってきた、アイコンタクト。
 時にはすぐわかられるのが鬱陶しくて、目を逸らしていた。
 時にはすぐわかってくれるのが嬉しくて、振り向くのを待って目で追っていた。
 その気持ちを、ヒカリはやっと、認めるときが来た。
「はい」
 決意の眼差し決死の表情。
 もう戻れない昔の自分への別れの意味も込め、ヒカリの声は深かった。
 ヒカリの返事を聞き、タケルは少しだけ笑顔になった。
 両思いの瞬間だというのに、どちらの顔も快晴ではない。
 まるで、今にも雨が降りそうな曇り空のようだった。
 ただ、お互い曇り空こそが素の心だと知っていた為、相手の表情に不安はなかった。

「じゃあ、行こうか。みんな心配してるし」
 せっかくの2人きりの時間、それも告白直後なのに、タケルはそれを尊重するでもなく、立ち上がった。
「そうね。早く京さんに謝らないと」
 ヒカリも、みんなが集まったこの日を大切に思い、少しでも早く戻りたかった。
 そして、2人とも足早に歩き出し、日常会話を始めた。
 この1年の話を。今までと変わらず。
 手を繋ぐわけでもなく、距離が近づいたわけでもない。
 誰が見ても、いつもの仲の良い2人だ。
 広場に戻ったとき、全員の反応は、普段と変わりなかった。
 京だけは、普段通りなのが嬉しくも残念そうな、そんな顔で。
「ごめんなさい、京さん」
 この言葉も、逃げ出したことについてだけじゃなく、上手くいかなかったからだと思った。
 ヒカリはその誤解を感じ取ったが、敢えて訂正はしなかった。
 タケルもそのようで、伊織に何か意味深な視線を送られていたが、答える素振りはなかった。
 何も取り交わしてないのに、意思の疎通が出来る2人のこと。
 付き合いだした事を公言しないことが、暗黙の了解として成立していた。
 だが、さすがにパートナーデジモン達には、その微妙な変化がわかられたようで。
「ヒカリ…どうしたの?」
「え?」
 テイルモンは先程までチームバランスのためにサッカーにかり出されていたが、試合中もヒカリの様子を気にしていたらしい。
「さっきから様子がおかしいわよ」
 そうは言うものの、問いただしたところでヒカリが答えるとは思っていなかった。
 心配しても仕方なく、する必要が本来無いことも。
「ううん。大丈夫よ」
 その言葉に、テイルモンは少しがっかりしたようだったが、ヒカリのこの空元気は変わらない。
 強がりで、それでいていざというときには本当に強い子。
 それに、ヒカリには家族もいる、京もいる、タケルもいる。支える人が沢山いる。
 テイルモンはそれを知っているだけに、今更自分が出しゃばることはない、と寂しいながらもこれ以上追及しなかった。
 一方で、パタモンの方はと言うと。
「タケリュ、次はぜったい勝とうね!」
 なんとなく気になってるような、上手く言葉に出来ない状態で、結局気にしないことになっていた。
「…そうだね」
 タケルにとっては有り難いような、たまには気付いてほしいような、複雑な思いだった。
 これも、成長期と成熟期の差と言うのだろうか。エンジェモンだったら相当違う対応になりそうなものである。
 一瞬、たまには進化させて相談するのもアリかもと、タケルの頭をそんな考えがよぎった。
「おーっし!後半戦行くぜ!」
 休憩が終わり、一体広場に何しに来たのやら状態で、サッカーが再開された。
 先程は途中で抜けてしまった京も参加し、ヒカリはまた荷物番をすることにした。
「すみません、お任せしてしまって…」
「ヒカリちゃんもやりたくなったら、いつでも言ってね!交代するから」
 賢と京が行く前にそう声をかけていったが、ヒカリはこの場所が好きでここにいた。
 まるで小学生の頃に戻ったような、全員の姿が見られて。
「…久しぶり、だからかな…」
 ヒカリはその様子を眺め、ふと思った。
 みんな、無意識のうちに、戻りたいと思ってるのかも知れない。
 しかし、時の流れは無情にも、変われ、進めと追い立ててくるのだった。


 数日後の朝。
 ヒカリは洋服を眺めながら、不思議そうな顔をしていた。
「……ヒカリ?」
 テイルモンは、遠慮がちにヒカリの名を呼ぶと、何をしてるのかという顔をした。
「うん…ちょっとね」
 実はこの日、タケルに誘われて買い物に行く予定だった。
 目当ての物は特になく、ただ2人でショッピングモールを歩くだけ。
 中身はあまりにも漠然としていたが、2人で出掛けることに意味があった。
 しかし、出掛けることすら知らないテイルモンは、
「(最近、ヒカリの考えてることが、わからない…)」
 と頭を悩ませていた。
 この時のヒカリが何を思って洋服を見ているのかというと、漫画やドラマに良くある、
『デートの時に着る服を迷うヒロイン』だから。
 ……ではなく、その気持ちを考えていたからだった。
「(…どうして迷うのかな…)」
 即決出来たのは、ヒカリの服が少ないからではない。京に連れられ、おしゃれは人並みに出来ると思っている。
 だが、意外と、京相手の時の方が、おしゃれに気を使うことに気がついた。
 なぜならば、色々とアドバイスがもらえるから。
 そしてそこから発展し、買い物先が増えるというもの。
 今回も同じにしたいところだが、それは女子同士ならではの行動だろう。
 ただ、ヒカリは内心、会ってからのことは考えていなかった。
 タケルなら、話題に困ることも、沈黙に耐えられない、なんてこともない。
 それなら、何を着ていっても変化はないはず。
 ヒカリはとりあえずそう納得すると、一発で決まった今日の洋服を出し、着替えることにした。
 それを見てテイルモンは、初めてヒカリが出掛けることを知り、驚いた。
「ヒカリ、どこか行くの?」
 普段なら、誰とどこに行くか、楽しそうに教えてくれるはず。
「うん」
「……そう」
 そのはずだったが、「うん」とだけ言われてしまうと、誰と行くのか詮索することも出来ず、テイルモンはなんだかもやもやした気分になった。
 ヒカリはそんなテイルモンの気分を察してはいたが、タケルとの関係を誰かに言う気にはなれなかった。
 隠したいわけではないが、訊かれない限り自分から言いたいわけではない。
 色々言われたり、反応されるのが、なんとなく面倒だった。
 まだいつもの延長にいるだけと思いたいのかも知れない。
 告白を受けて、付き合うことになった今も、電話やメールの回数など、全く変わっていない。
 タケルがどう思ってるのか考えることもせず、今までと変わらない日常に努めていた。
「(…何が起きるのかな…)」
 変わることを認めたわりには、変わらないことにばかり目を向けていて。
 何も起きないでほしいと思いながら、ちゃっかり出掛ける約束はしている。
 付き合っているのか、いないのか。
 恋人未満の時の方が、からかいを避けて出掛けこそしなかったものの、いい雰囲気に仲が良かった気がする。
「しっかりしろっ」
 ヒカリは机を軽く叩き、自分を叱りつけた。飾ってある写真立てが少し揺れ、目に入る。
 思い出の、冒険の写真。――あの頃と同じ身長の人は、もういない。
 ヒカリは写真立てを倒すと、気合いを入れ、
「行ってきます!」
 と、勢いよく部屋を出ていった。
「…行ってらっしゃい」
 何事かと思っていたテイルモンは、ヒカリの気迫に唖然としながら、呟いた。

「タケルくん!」
 待ち合わせ場所にいたタケルが見え、ヒカリは走りながら呼びかけた。
「急がなくて良いのに」
 笑いながら向かってくるタケルに、ヒカリは苦笑いしながら速度を落とした。
「さて…と。ヒカリちゃん、どこか行きたい所ある?」
 一頻り笑った後、タケルはまず訊いてきた。
「特にない、かな」
 欲しい物があるわけでもなく、どちらかと言うと、海沿いをただ歩くだけでもよかった。
「そっか。じゃあ…とりあえず歩こっか」
「そうね」
 ヒカリの思っていたとおり、適当に1番良い選択になった。
 どちらかが相手のために我慢するでも付き合うでもなく、「暖かくなったね」なんて言いながら、道なりに歩いていった。
「この辺歩くの久しぶりだなー」
「私も。小学校の頃は、よくデジカメで撮ってたんだけどね」
「そうだったね。僕もいきなり写されたっけ」
 思えば、タケルが越してきてから、よく案内をしていた。
「(あ、そっか…)」
 どうして自分が気負いすぎないのか、ヒカリは今わかった。
「…そんな言い方しなくてもいいのに」
 一応『初デート』という肩書きではあるが、2人にとっては、何回もしていることだったのだ。
「だって、隠し撮りみたいなこともあったでしょ」
 何度も通った道を、以前と変わらぬ笑顔で歩く。
 ただ、話していることは昔と違い、前日見たテレビとかではなく、その歩いていた頃の、
 思い出。
「あれ?」
 笑っていたタケルが、ふと何かに気付いた。
「伊織君だ。ほら」
 タケルに教えられ道路の反対側を見ると、確かに伊織の姿が。
「デートかな」
 さらりとタケルが言い、ヒカリはその言葉を一瞬意識したが、すぐに「気にする言葉ではない」と思った。
「そうみたいね」
 伊織の隣には、ヒカリ達の知らない女の子がいる。
 楽しそうに話し笑う姿は、普段の生活を知らないヒカリにとって、失礼ながら意外に思えた。
「京さんが見たら、ビックリするんじゃないかな」
 お花見のときの京の言葉を思い出し、ヒカリは言った。
「え?どうして」
「だって京さん、『もっと柔らかくなればいいのに』って言ってたから」
 今の伊織の表情は、京の母親的望みにぴったりの、柔らかい笑みだった。
「へー。そうなんだ」
「タケルくんはそう思ったこと、ないの?」
「うん。伊織君堅い所もあるけど、その分柔らかい時がすごく優しくていい顔でさ。そういう柔と剛のギャップみたいな所が人気みたいだから」
 初耳のことに、ヒカリは驚きを隠せなかった。
「知らなかった…」
 さすが、伊織とは兄弟のような親友関係のタケルだ。
 比較的接点が薄いヒカリが知らないことも、当然のように知っている。
「まあ、あそこまでの笑顔は僕も見たことなかったけどね。『彼女』の前だけなんじゃないかな」
 嬉しそうにそう言うタケルに、ヒカリは「そっか」と相づちを打ちながら、またしても言葉を意識していた。
「『彼女』か…」
 ヒカリの呟きが聞こえたか聞こえてないか、タケルは相変わらず表情を崩すことが、なかった。
 とは言え、その意外クールな面もヒカリはよく知っている。
 中身の読めない人だけど、瞳を見れば、わかる。
 故にヒカリにとって最もショックな対応は、瞳を合わせてくれないときだった。
 しかし、それはタケルにとっても同じ事。
 お互いがいつでも受け止めてくれる存在だからこそ、受付拒否されたときの衝撃は並大抵のものではない。
「(『彼女』か…)」
 タケルがヒカリのことをそこまで大きな存在だと気付いたのは3年も前だったが、
「(僕も、あんな笑顔になれるのかな…)」
 心に引っかかることがあり、どうしても蓋を閉めがちにしていた。
「行こっか」
 気を取り直し、タケルはヒカリに笑いかけた。
「うん」
 ヒカリも、何事もなかったの様に頷き、また歩き出した。
 全てが分かり合えているようで、実のところは無意識に触れられない領域がある。
 2人とも、既にそれには気付いていた。
 ただ、今はその時期でない、と思い込ませているだけで。

「うわぁ。懐かしいなあ」
 ヒカリは、公園のある一角に辿り着くと、嬉しそうに言った。
「ヒカリちゃんお気に入りのスポットだよね」
 今は木が大きくなってしまったが、昔はここから海が見え、とても良い景色が撮れた。
「入ってみる?」
 タケルが、公園の入口を指さした。
 早速入ってみると、あちらこちらに思い出が散りばめられていて、話題が尽きなかった。
「初めて来た時、ヒカリちゃんてば写真に夢中になっちゃってつまんなかったなぁ」
「5年生の時、京さんと大輔くんが早食い競争して。…どっちの勝ちだったかしら」
「中学の時はパタモンとワームモンが喧嘩して。…原因は忘れちゃったけど」
「あそこってたしか、ブイモンが登って落ちちゃったのよね。危ないって言ったのに」
 小5から中1までの3年間は近所の公園にあちこち行っていた為、仲間達の騒動を思い出す。
 所々忘れているのが悲しいが、悲しさを実感する前に、次の思い出がよみがえる。
 懐かしいあの時代。大人になった気でいたけど、今よりもっと子供だった頃。

 歩いている間に、人が多い海辺に近づいてきた。
 お構いなしに思い出話を続けていたが、だんだんヒカリは、目に入る人達から視線を逸らすことに集中してきた。
 と言うのも、カップルが多いからである。
 ゼロ距離で密着し砂浜に座る人。手を繋ぎ楽しそうに歩く人。
 そして――。
「ぁ」
 人を避けようと海辺に背を向けた時、キスまでしているカップルが視界に飛び込んできた。
「…そ、そろそろお店行こうか」
「そ…そうね」
 お互い焦りながら、そそくさと退散した。
「(そういえば、今まであまり思わなかったけど…)」
 公園を出てお店へと向かう間にも、すれ違う人、目に入る人はカップルが多い。
 住んでいる所為か大して気に留めた事はないが、考えてみればお台場はカップルが行く所として人気の街。
 つい先程まで思い出ツアーをしていた自分たちが、いかにこの街を有効利用してないのか思い知らされた。
 そしてそれはつまり、行こうと思えばこれからお化け屋敷や観覧車と言った、デートにおあつらえ向きな場所も用意されているわけで。
「(こんなことなら、遠出すればよかったかな…)」
 遠出する方がデートを意識する気がして、敢えて近場で散歩することにしたのが間違いだった。
 知り合いに会う確率が増えるだけでなく、まさかこんな罠があったとは。
 なんとなく落ち着かない心を胸に、ヒカリはショッピングモールへと足を進める。
「ヒカリちゃん、買いたい物とかある?」
「ううん。タケルくんは?」
「僕も特にない。…適当に覗いてこうか」
 ショッピングモールは、こういうときに都合がいい。
 色んな店が集まっているため、目的が無くても自然と楽しめたりする。
 とは言っても、洋服関係の店が多く、覗く店にも偏りはあるのだが。

 お互いの好みは熟知しているので、迷うことなく流れるようにお店に入っては出ていく。
 そして、あるアクセサリーショップで、少しその流れが止まった。
「あ」
「どうしたの?タケルくん」
 タケルが見ていたのは、2つで1つのデザインな、ペアネックレス。
 先程までの流れなら、特に気にせずすぐ次の店へと移動してしまう。
「こういうデザインって、1人でしてても形がわかんないよね」
 タケルが手に取った商品は、2つで十字架になる物。
「そうよね〜」
 適当に相づちを打つものの、内心ヒカリはペアの物だから常に一緒にいる2人がする物だと思っていた。
「まあ、バラバラになることもそうそうないんだろうけど」
 …タケルも、同じ事を思っていた。
 いつも一緒で、離れられない人達のための、ペアグッズ。
 2人で1つの証の、ペアグッズ。
「ヒカリちゃん、欲しい?」
 冗談三分の一な顔での、タケルの問いかけ。
 いきなり直球のボールを投げられて、ヒカリは一瞬怯んだ。
 たしかに、自分たちは2人で1つの存在だとお互い思っていたが、それはこういった意味でなく、何か他の意味で捉えていて。
「えっと…」
 正直に言ってしまえば、いらなかった。
 必要が、無かった。
 しかし、そう言ってしまうのはなんとなく勿体なくて。
「…じゃ、買ってくるよ。僕からのプレゼントって事で」
 ヒカリの表情を見て思いを汲み取り、タケルはレジへと行ってしまった。
「……また一歩、か…」
 少しずつ、少しずつ、何かが変わっていく。
 今日この日だけで、どのくらい歩くことになるのだろうか。
「付き合うって、たーいへーん!」
 隣にいた女子2人組の会話が、急にヒカリの耳に飛び込んできた。

「はい。ヒカリちゃん」
 お店を出た後、タケルは小さな袋を手渡した。
「ありがとう」
 お揃いの物を持っていた頃に比べ、これを付けることに少し覚悟がいったが、そんな思いは微塵も態度に出さず、ヒカリは笑顔で受け取った。
「どうしたしまして」
 タケルはそう言うと、ネックレスを付けることもせず、歩き出した。
 その様子にヒカリはホッとした。
 なんとなく、付けてしまうと何かに縛られるようで息苦しそうだった。
「(でも…)」
 本当は、少しだけ寂しい気もした。
 ヒカリは、袋を鞄にしまうと、タケルの横を歩いた。
 何事もなかったかのように、洋服屋を見て回る。
 アクセサリーコーナーは、微妙に避けてしまいながら。
「ヒカリちゃん、何か食べる?」
 だんだん気まずくなりそうで、タケルは時間的にはまだ早いが、訊いてみた。
「うーん…」
 さほど空腹でもないが、ヒカリは早い所落ち着きたく、なにか思い浮かばないかと必死で頭を回転させ、その結果。
「アイス、食べたいかな」
 春とはいえ、暖かくなったこの日。
 冷たいものを食べれば、自然と頭も冷え、気まずさも抜けるかも知れない。
 数分後、2人はモール内のアイスクリームショップにやってきた。
「すぐ買ってくるから待ってて」
 タケルは外のベンチにヒカリを座らせ、カップルの並ぶ列へと買いに行った。
「ふーぅ…」
 深呼吸し、外の空気が気持ちよかった。
 ヒカリは、鞄の中の袋を取り出すと、タケルに見られないようお店側を背にして、シールを剥がした。
 1つでは、何の意味も持たないペアネックレス。
 今付けていれば、気まずくならないかも知れない。
 そう思い、意を決したが、どうにも踏ん切りがつかず、握りしめる。
「はぁ…」
 手の中にあっさりと包まれる小さな小さな只の物。
 こんな物に心が乱されている状況に、変わるも変わらないも無い気がした。

「すいません」
「はい?」
 急に声をかけられ、反射的に顔を上げて返事をすると、見知らぬお兄さんがそこにいた。
「あの、カワイイなーって思ったんですけど」
 しまった、とヒカリは思った。所謂ナンパである。
「どこか遊びに行きませんか?」
「すみません。人を待ってるんで…」
 ここを離れるわけにも行かず、ヒカリは困り顔で答えた。
「彼氏ですか?」
「え…」
 どうでもいい質問なのに、思わずその言葉に驚きの反応をしてしまった。
 付き合いだしてから、まだ誰にもそのことを言ってないため、そんなことを言われたのは初めてだったから。
 真面目に考えなくていいのに、肯定していいものやら、と思ってしまう。
「彼氏なんですか?」
「そうですけど」
 しつこい質問に、ヒカリの後ろから回答が出た。
 振り向くと、タケルがアイスを手に立っていた。
 誰もが恐れる、恐怖の笑みを浮かべながら。
「何か用ですか?」
 ヒカリに触ったら容赦しない、とそのオーラが物語っていた。
 この状態のタケルに立ち向かえるわけもなく、ナンパは何も言わず去っていった。
「…ありがとう」
「大丈夫?」
 タケルはヒカリの瞳を見て診断しながら、隣に座った。
「うん」
 アイスを手渡されながら、ヒカリは手に握っていたネックレスを見られないように注意した。
「あ、お金払わないと」
「いや、いいよ。おごるから」
 ヒカリは鞄に手をかけたが、タケルがすぐにそう言ったため、お財布を出すタイミングを逃した。
 しかし、咄嗟の判断でネックレスを鞄に戻すことには成功した。
「でも、悪いわ」
 ヒカリはそんな行動を隠すように自然に言った。
「そんな額じゃないってば」
 タケルは笑いながら答え、ヒカリの行動には気付かなかったらしい。
「じゃあ、お言葉に甘えて…いただきまーす」
 ヒカリはアイスを食べ始めた。
「おいしい〜」
「うん。いつ食べても美味しい」
 何度か来たことある店だが、2人きりで食べるのは初めて。
 好きな人といると、味もまた格別…変わることはなかった。
 ただ、その場の雰囲気は、アイスと違って暖かかった。
「(『彼氏』か…)」
 先程のタケルの姿にヒカリは、守ってくれたこと事態には当たり前にも似た感情も抱いていたものの、彼氏という肩書きを認めてくれたことに、不思議と素直に喜べた。
 故にヒカリにとって逆にショックなところが、それでも尚ネックレスを付けられないことだった。
 しかし、それはタケルにとっても同じ事。
 彼氏だと認めることが出来たのに、守った事実に関しては今までと変わらなく感じてしまう。
「『彼氏』か…」
 タケルの言葉に、ヒカリはアイスを食べる手を止めた。
「さっき、僕の中で『僕はヒカリちゃんの彼氏だから』っていうのが、あったんだ」
 ヒカリに言うような、そうでないような、宙を見ながら言うそれは、どこか別の所を見ていた。
「ヒカリちゃんは、どう?」
 暖かな雰囲気が一変し、張りつめた空気になる。
 無意識に触れたくなかった領域に、少しずつ踏み込もうとしている。
「『僕の彼女』って自覚、ある?」
 冷めた言葉。
 これから、「別れて下さい」という言葉が出てきてもおかしくないほど、冷めた物言い。
 告白の時のように瞳を見られ、ヒカリは嘘が効かないと思った。
 尤も、2人は常に嘘がつけない間柄だ。
 ただ、見ないことにしているだけで。
 ヒカリは、タケルの瞳に声とは違う気持ちを見つけた。
 哀しそうな辛そうな、何かが変わる一歩手前。
 自覚がないと言ってほしい、だけど、自覚があると言って欲しい。
 決して責めた口調ではなく、本当は泣き叫ぶほどの問いだと、ヒカリは気付いた。
「私は」
 だからといって、タケルが求める言葉が何かはわからない。
「『タケルくんの彼女』って自覚、ない」
 でも、言えることは、ただ1つ。
「だけど、『タケルくんが彼氏』っていうのは、すっごく実感してるよ」
 笑顔で言い切ったヒカリに、迷いはなかった。
 そんなヒカリを見て、タケルも楽な表情になり、
「そっか…。言われてみれば僕、『ヒカリちゃんが彼女』っていうのは、実感無かったな」
 と、笑った。
 つまりお互いがどこか、付き合ってると言うより片想いな部分があったようで。
 2人とも、気が抜けたのか笑い出した。
 気付かないところで、相当気を使っていたのか、なかなか笑いが止まらず、心は寒くも暖かくもない、自然な気持ちだった。
 そう、いつもと同じ…。
「ヒカリちゃん」
 笑いを抑えながら、タケルが話し出す。
「また、これからよろしくね」
 片思いから、両思いに気持ちを切り替えるように。
「うん。こちらこそ、よろしくね」
 焦って近づくことも、周りと比べることも、変に意識することもない。
 切羽詰まったりしなくとも、ゆっくりいけばいいんだ。
 ヒカリがそう思ったとき、風が吹いた。
 冷たい風ではなかったのに、ヒカリの体は震えた。
「あ、寒い?」
 すぐにタケルが気付き、ヒカリとの距離を近づける。
 小さな頃の友達同士に感覚が戻った所為か、腕と腕がくっついても、顔と顔が近くても、何も心に変化がない。
 でも、今は変わらなくても、きっといつか変わる。
「ここ日陰だし、アイスも食べたからね」
 変わるために、今ここにいて、進もうとしている。
「歩こうか。少しは暖まるかも」
 タケルが立ち上がり、ヒカリも立とうと思ったが、足が動かなかった。
「はい」
 ヒカリの目の前に、タケルの手が差し出された。
 変わらないけれど、確かに変わった手。
「…」
 ヒカリはその手を取ろうと思ったが、昔のようにはいかなかった。
「ヒカリちゃん?」
 タケルが不安そうに呼びかける。
「行こっか」
 しかし、ヒカリはそれに反応せず、手も取らずに立ち上がり、歩き出した。
「…うん」

 アイスクリーム屋を後にし、また散歩を始める。
 街路樹の桜が、風に舞い、飛んでいく。
「綺麗だよね」
 ヒカリはそれを見ながら、ポツリと呟いた。
「また、儚いな…」
 ヒカリの言い方に、タケルは何かの危機を感じた。
「お花見に行ったときね、私、京さんに言われてタケルくんに告白しようと思ってたの」
 タケルは驚きの表情を隠し、頷いた。
「でも、出来なかった。怖くて怖くて、出来なかった」
「…うん」
 タケルはまた頷き、話を聞く。
「それでね、タケルくんの声が聞こえたの。『やめて、ヒカリちゃん』って」
 ヒカリは、足を止めた。
 そう、あの時確かにそう聞こえた。
 どうして?
「そっか…バレてたんだ…」
 タケルも足を止めると、瞳を曇らせながら言った。
「やっぱり、ヒカリちゃんにはわかっちゃうんだな」
 冷たい空気から暖かい空気へ。
 そしてまた今度は、儚い空気。
「僕も、怖かったんだ」
 ヒカリは、驚くような、わかってたような、半々の顔をした。
「言ってしまったら、絶対に全てが変わるから。ヒカリちゃんが変わりたくないのが、迷ってるのがわかって、言わなきゃよかったって思った。言わないで、このまま時が過ぎるのを待てばよかった。そう思った」
 筒抜けで気持ちが伝わってしまった、告白の瞬間。
 返事の言葉なんか、いらない。
 本当は、告白の言葉すら、いらない。
「ヒカリちゃんがOKしてくれて、嬉しかったのに、すっごく後悔した」
 変わった瞬間。嫌がおうにも、もう戻れない。
「いつか離れそうで、怖かったんだ。変わってしまうことが、怖かった」
 数秒前まで笑っていても、数秒後にはわからない。
 いつの間にか溝が生まれて、気付いたときにはもう、
 どうにも出来ない…。
「私も、変わってしまうことが、怖かった」
 振られたらどうしようとか、気まずくなるからではない。
 良くも悪くも変わることが、何も残らない気がして。
「みんなと遊ぶ時間が、どんどん減って。みんなと遊んだ時間を、どんどん忘れていって」
 絆は変わらない、それはわかっていても。
 気持ちは、変わっていくかも知れない。保証は、ない。
「でも、ヒカリちゃん」
 タケルはヒカリの手を握りながら言った。
 ヒカリが顔を上げると、そこには満開の笑顔があった。
「大丈夫。今までだって変わらなかったんだから、これからも変わらないよ」
 暖かな風が吹き、日向の桜たちを舞い散らした。
「それって…」
「覚えてる?去年の卒業式の時に、僕が言ったの」
 そう言われても、ヒカリの中にその記憶はなかった。
 しかし、確かにどこかで、聞いた。
「変わることは多いし、正直、僕は変わりたい。何かが変われば、別の何かも変わる。良い意味でも、悪い意味でも。だけど、」
「やっぱり、変わらないこともある」
 ヒカリは、タケルの言葉を引き継いだ。
「そうだよね…そうだよね」
 握っているその手が大きくなっても。
 その暖かさは変わらない。
「ありがとう」
 そして、その笑顔もまた、変わらない。
「僕の方こそ、いつもありがとう。今までずっとずっと、ありがとう」
 これからの約束なんて、出来ないけど。
 未来のことは、誰もわからないけれど。
 2人は決心した。
 自分たちの成長。変わらないものと変わるもの。
 過ぎていく時間。もう戻らない思い。
「ヒカリちゃん」
「タケルくん」
 向き合って、握手をした状態のまま、2人は笑顔で見つめ合った。
 言葉に出来ない想いでも、瞳できっと通じ合う。

 いずれまた咲く桜の花が、舞い散りながら、2人を見守り追い越した。









2冊目のコピー本。ピンクで桜風の和紙っぽい表紙でした。タイトルは1字ずつ穴開きパンチで抜き出して貼り付けて…。不器用には難しかったですが工夫するのが楽しかったなあと。
1冊目と同じくこちらも残念ながら当時のあとがきは掘り起こせませんでした。
本編の内容はわりと覚えているんですが、あとがきは覚えてないですね…。お台場でつぶつぶのアイス食べたり散策したような気はします。

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掲載日:2026/02/10